【『服喪の母たち』がよく集会を開いていたラーレ公園。ラーレとはチューリップのこと。チューリップはイランでは殉教者を象徴する花(撮影:筆者)】
大村一朗のテヘランつぶやき日記 3月8日デモ 2011/03/08
改革派グループは、先週、改革派の二人の指導者が逮捕されたと発表した後、「抗議の火曜」として毎週火曜にデモを行うよう市民に呼びかけていた。そして3月8日火曜、この日は「世界女性の日」とも重なるため、2009年6月の大統領選挙後の一連の騒乱で子供を失った母親達がデモに参加すると発表されていた。
夕方、仕事を切り上げ、バスで市街中心部へ向かう。主要な広場は、帰宅を急ぐ市民と、それを上回るデモ鎮圧部隊で溢れ、彼らの前を足早に通り過ぎてゆく市民の姿が見られた。
広場では、ほとんどの店舗が営業していた。デモが予定されている日にはほぼ全ての店舗がシャッターを降ろしていた2009年と、その点で大きく異なっている。鎮圧部隊の数の多さは、物々しさよりも、彼らがデモを抑え込み、騒乱には発展しないという安心感を店主たちに抱かせているのだろうか。それとも、彼らがシャッターを降ろすタイミングを覚えたということなのか。
「服喪の母たち」のデモが行なわれるアミラバード交差点に行ってみたが、夜8時前にはすでに警官の姿すらなく、そこはいつもの渋滞した交差点でしかなかった。
彼女たちの活動を支援するイラン人のウェブログから、その日の夕方の動向が少し分かった。この日、人々は、かつて彼女たちがよく集会を開いたラーレ公園周辺に多く集まっていたという。警備は厳重で、市民は立ち止まるだけで警官から追い立てられ、夕方6時頃には衝突があり、催涙弾も打ち上げられたという。また、そこから近いエンゲラーブ広場の裏通りでも、小さな衝突が見られたという。また、日ごろ女性の服装の取締りに当たる女性警官が、この日初めて、デモ鎮圧に動員されていたという。
いずれにしても、デモのたびに警備ばかりが厳重になってゆき、それに反比例するかのように、デモの規模は縮小している。市民はデモに慣れ、治安部隊の姿に慣れ、交通の乱れと生活への支障に不平を言うようになっている。
葬式すら挙げないよう圧力をかけ、声を上げればその家族までも拘束するこの国の体制は、子供を失った母親たちにとって、打倒するに価する。しかし現実はどうか。デモは勢いを失い、彼女たちの存在すら忘れ去られようとしている。
一週間前、改革派の指導者二人が逮捕され、自宅から刑務所に移送されたと伝えた改革派グループは、8日、二人が逮捕されてはおらず、まだ自宅にいることを明らかにした。彼らの釈放を訴えるための「抗議の火曜」のデモは、その意義を失ってしまった。彼らが何を求め、何がしたいのか、その戦略がまったく見えない。