クルド人の主婦、バシラ・アハメッドさん(62)の一家もかつて移住を強いられた。フセイン政権崩壊後の2003年にキルクークに戻ったものの、強制移住の証拠として提出しなければならない当時の食糧チケットなどの書類を保管していなかったため、政府からの帰還資金は受けとれなかった。

「商店で働く16歳のひとり息子の給料だけでは家族8人は生活していけない。帰還しても苦しい生活が待っていただけ。石油が湧き出すキルクークなのに、どうしてそこに暮らす住民がこれほど貧しいのでしょう」と嘆いた。

キルクークはイラク最大級の油田を抱える。こうした石油資源もあって、クルディスタン地域政府はキルクークを地域政府の管轄地に編入させる動きを加速させてきた。編入には憲法改正と住民投票が必要となるが、帰還でクルド人が再度増えれば、住民投票は圧倒的に有利になる。クルド地域政府と地元クルド政党の意向を反映するかたちで、町のインフラも整備されないまま無理に帰還だけが促された。

キルクーク県議会のババカール・サディク・アハメッド議員(59)は話す。
「受け入れ態勢もないのに短期間に大量の住民が帰還した。電気、水などの供給も不十分で、仕事も十分にない。故郷へ戻ったものの、隣のクルディスタン地域へ出稼ぎに出ざるをえない者もいる」
昨年3月に行われた国民議会選挙時の民族構成ではクルド人が半数以上を占めた。アラブ人やトルコ系住民は、着々と進む住民投票への政治的動きに危機感をつのらせる。

治安状況の改善もままならないなか、今後、住民投票問題が政治的焦点化すれば、民族どうしの緊張がさらに高まることも懸念される。イラク戦争から8年が経つなか、人びとにとっての戦後はいまも続いている。
【キルクーク・玉本英子】

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