第1回 寺洞区域の路地を歩く
寺洞(サドン)区域は平壌市の中心を流れる大同江(デドンガン)の南東側に位置する。区域には取り立てて高い建物もなく、四~五階建てのアパートがぽつぽつと建つ程度だ。道路も未舗装が多くインフラも整っておらず、平壌の中では遅れた地域の一つに数えられている。
2007年まで隣の船橋(ソンギョ)区域で生活していた脱北者によると「平壌の人間であっても、寺洞区域に住んでいるというと『村から来た』と言われる」のだという。平壌では郊外・外れのイメージが強い、労働者の居住地区である。
リ・ソンヒは2008年12月の夕暮れ時に、松新(ソンシン)駅の前を通って寺洞市場の方面へとカメラを回しながらゆっくりと移動していて行った。
(撮影 リ・ソンヒ 平壌・寺洞(サドン)区域 2008年12月 01分45秒)
動画 (01分45秒) (C)ASIAPRESS
平壌(ピョンヤン)――そこは、指導者金正日総書記が住む朝鮮民主主義人民共和国の「革命の首都」であり、首領故金日成主席の生家のある「聖地」である。それゆえ、平壌は常にソウルよりも美しく発展した都市でなければならなかったし、そのように見えなければならなかった。塵一つ無い広々とした通りと広場、整然とした高層アパート群、そしていつも笑顔で幸福そうに街を歩く清楚な身なりの人民たち......。
中学校の校庭横を通り過ぎる。奥に大きな校舎が見える。比較的きちんと整備されているようだ。生徒たちがバレーボールを楽しんでいる。
路地の両側は民家が続く。垣がやたらと高いのは盗みが多いからだという。道はきれいに掃き清められていてゴミが落ちていない。これは毎朝自 分の家の前を「衛生事業」(掃除)しなければならないためである。平壌に住んでいた脱北者によると三度掃除を怠ると平壌から追放になることもあるという。
平壌東部の地図(写真)[google Mapより]
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九〇年代後半の社会混乱の中で、平壌でも多くの餓死者が発生した。その後も今日まで経済の復旧は成らず、最も優待される平壌ですら食糧配給は遅配欠配が日常茶飯事だという。
政府の言うことを聞いて配給だけを待っていたのでは飢え死にしてしまう。そんな中で平壌市民たちも、めいめいが創意工夫して商売に立ちあがった。
美林洞の寒空の下で、質素な防寒着姿で地べたに座ったり立ったりしたまま商売をしている女性たちを「貧しく可哀そう」な人たちだと見ると、北朝鮮社会を見誤ることになる。
彼女たちは統制が厳しい平壌にあって、経済的に自立して暮らしていくことができる唯一の方法である商売を、しんどいながらも喜んでやっているのだ。それは、働けば働いただけ実入りが増えるからであり、商売こそが豊かになれる唯一のチャンスだからだ。
彼女たちの働く姿は、一定の「経済活動の自由」を勝ち取って懸命に生きている姿だと捉えるべきだろう。
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