◆ 第23回 マオイストの"首都"、タバン村へ(2)
名前も知らない小さなバザールでバスを降りると、「ここはもうマオイストの本拠地だから」と、同行したマオイストと自由に話すことが許された。
ここから、さらにローカル・バスに乗りついだ。
「これが道路か」と思うようなでこぼこの未舗装道を、身体がばらばらになるのではないかと思うほど激しい揺れに耐えながら5時間ほど行くと、バスの終点であるサリヤン郡北東部にあるタルマレ村に着いた。ここまで来ると、警察詰め所もなければ、政府の役所もない。完全なマオイストの"自由区"である。
小さなバザールから山のほうに5分ほど登ったところにある民家に、私たちは2泊した。滞在しているあいだにわかったのだが、この民家はマオイストの支持者の家で、マオイストの病人や負傷者が休養をとるシェルターだった。私は原因不明の病で長期療養している若い女性のマオイストと同室になった。いつ出発するのかは直前まで知らされず、どこに行くのかは出発したあとも教えてくれなかった。
タルマレに着いてから3日目、私たちは東にあるロルパに向かわず、北西への道を丸1日歩いてルクム郡コラガウン村に行った。ここでさらに2泊したあと、向かったのはルクムの西の端にあるチャウリジャハリだった。一体、いつになったらロルパに着くのか見当もつかなかったが、マオイストの本拠地で見るもの聞くこと、すべてが興味深く、私は開き直って成り行きに任せることにした。
ベリ川に沿った盆地にあるチャウリジャハリに来て、まっすぐロルパ郡に向かわず、なぜルクム郡に連れてこられたのか理由がわかった。ここでルクム郡の人民政府樹立を宣言する集会が開かれたのである。マオイストはこの集会を見せるために、私をルクムまで連れてきたのだった。
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