苦難はフセイン政権崩壊後も続いた。ゾロアスター教の流れをくむヤズディ教を、イスラム武装勢力は「邪教」とみなして殲滅を宣言した。
2007年8月14日夜、町の中心にある商店街で大規模な爆弾事件が起きた。轟音とともに暗闇に火柱が立ちのぼり、地面に巨大な穴が開いた。犠牲者375人の全員がヤズディ教徒の市民だった。爆弾は駐車された自動車に仕掛けられたもので、夜が狙われたのは警備が手薄だったからだ。
武装勢力が使った爆薬の量としては最大ともいわれるほど大きな爆発だった。地区全体を吹き飛ばすほどの威力で、瓦礫だけでなく地面を掘りおこすなどしてようやく遺体を収容した。
ハディア・スレイマンさん(27)は夫と2人の娘を失った。
「大きな爆発音がして記憶を失った。病院から戻ると家は跡形もなく崩れ落ちていた。
家族の肉片すら見つけることはできなかった。夫を亡くして今もどうすればいいのか分からない」と泣き崩れた。
事件から数日後、アルカイダ系の武装グループが犯行声明を出した。
同年4月に北部モスル郊外でイスラム教徒の男性と恋におちたヤズディ教徒の女性が親戚たちに集団リンチで石を叩きつけられ殺される事件が起きた。「イスラム教とヤズディは相容れない宗教であり、邪教を根絶やしにする」と武装勢力は表明した。
「ヤズディ教徒どうしの集団リンチは間違いだったが、名誉殺人という風習は我々にはない。間違った報道で私たちはますます武装勢力から狙われることになった」
地元記者のバルカット・スレイマン氏(24)は話す。
町を見下ろす丘には、「コップ」と呼ばれるヤズディの聖者が眠る三角錐の石塔がそびえる。その脇には爆弾事件の犠牲者を追悼する墓碑が新たに建てられていた。
「それでも私たちは、報復はしない。すべては神が決めることですから」
彼自身も親戚たちを失くしたバルカット・スレイマン氏はそう言って目をふせた。
【ニナワ県ギルオゼール・玉本英子】
<イラク>置き去りにされるヤズディ教徒の町