タバン村トゥーロガウンの入り口にマオイストが作った歓迎の門。(2003年3月 撮影 小倉清子)
タバン村トゥーロガウンの入り口にマオイストが作った歓迎の門。(2003年3月 撮影 小倉清子)タバン村トゥーロガウンの入り口にマオイストが作った歓迎の門。(2003年3月 撮影 小倉清子)

 

nepal_maoist_B0200_001◆ 第25回 "赤の村" タバン(1)
タバン村最大の集落トゥーロガウン(大きな村)である。坂を上りきって水色のゲートをくぐると、すぐに目に入った光景は、これまでどこの村でも見たことのない特異なものだった。

左手にある広場では男たちがバレーボールのゲームをしていた。右手にある畑の前では、別の男たちが座ってドコ(籠)を編んでいた。
集落のほうに進むと、一番手前にある細長い大きな家の前で女性が巨大ななべをかき回して、何かを料理していた。近くで見ると、それは牛肉のタルカリ(カレー)だった。

当時、ヒンドゥー教が国教とされていたネパールでは、聖なる動物である牛を殺すことも食べることも法律で禁じられていた。しかし、世俗国家を求めるマオイストは、この法律を堂々と破って牛を食べていた。

ここタバンでは国の法律など通用しない。ここは、マオイストの"首都"であることを、到着早々に思い知らされたのである。

タバン村に着いてすぐに連れて行かれた”ハムロ・サハカリ・ホテル”。(2003年3月 撮影 小倉清子)
タバン村に着いてすぐに連れて行かれた”ハムロ・サハカリ・ホテル”。(2003年3月 撮影 小倉清子)

集落に入ってすぐ左手に、「ハムロ・サハカリ・ホテル(私たちの協同組合食堂)」という看板がかかった2階建ての家があった。私とルクムコットからついてきてくれた村人のガイドは、この"ホテル(食堂)"に連れてこられた。

8畳ほどの広さの土間にテーブルと椅子が何組か置かれている。壁も天井も煤で真っ黒になっていた。薄暗い食堂のなかは、不思議な活気に満ちていた。ひっきりなしに人が入ってきては、紅茶を飲んだり、干し肉を食べて出て行った。店の入り口の両側には土で固めたかまどがあり、片方のかまどでは常にお湯をわかしており、もう片方のかまどでは牛肉のカレーやトウモロコシの粉をお湯に溶かして練って作る"アト"と呼ばれる主食を作っていた。

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