大村一朗のテヘランつぶやき日記 隔世の感 2011/06/17
テヘラン市内の市バスのバス停が、最近すっかりきれいになった。以前は黄色い看板が立っているだけだったが、今では統一されたボックス式のバス停が建ち、三方を囲う強化プラスチックの壁には、結構ポップなデザインのイラストとともに、その地区の地図と詳細な路線図が一面に描かれている。
僕がイランで暮らし始めた7年前、ペルシャ語の不自由な外国人にとって、バスで行きたい場所に辿りつくのは至難の業だった。路線図などというものはどこにも存在しなかった。バスには行き先が表示されていても、そこへ行ってくれるとは限らず、いちいち運転手に大声で行き先を尋ねなければならなかったし、降りたいバス停では、「降ります!」と大声で叫ばなければ、バス停を素通りされることも珍しくなかった(これは今でも多少あるが)。当時、知らない場所に降ろされては、何度途方に暮れたか知れない。
今では市街各所にきれいなバスターミナルが整備され、行き先だけでなく、通過地点まで親切に表示してくれているバスも珍しくない。タッチパネル式の共通カードが普及し、バス券を買い置きする必要もなく、夏場は冷房を入れるバスもずいぶんと増えた。さらに、市街を縦横に貫く高速バス路線の新設により、テヘランのバス事情は一頃に比べて隔世の感がある。
この国の上層部の人たちは、自分の国と国民を最上の美辞麗句で称賛し、ナショナリズムを高揚させることに余念がないが、町の実務レベルの責任者たちは、市民の暮らしを一つ一つ改善しようと努めているのがよく分かる。
今日、市バスに乗り込み、一瞬目を疑った。座席の背もたれの裏面に、緑色のマジックででかでかと、「圧制者ハーメネイーに死を」と落書きされていたのだ。
最高指導者ハーメネイー師を名指しするこうした落書きは、2年前の大統領選挙後の騒乱以前には考えられないものだった。騒乱後でも、こうした落書きがあれば、すぐに消されるのが常だった。果たしてこの落書きはいつからあるのだろう。込み合うバスの中、この落書きに目を留める人もいない光景もまた、隔世の感を禁じえないものだった。