【連載】イラク戦争開戦から8年 バクダッドはいま
【はじめに】
2011年3月、イラク戦争開戦から8年。
米軍の完全撤退にむけてカウントダウンされるなか、日本の報道においては、イラクの現況を現場から詳しく伝えられることはほとんどなくなりました。
アジアプレスでは、イラク開戦当初から継続して足を運び、独自の視点で丹念にイラクを取材しつづけてきたジャーナリスト、玉本英子が3~4月にかけてバクダッドに入りました。
いまバクダッドはどんな状況にあるのか、また、そこに暮らす人びとはなにを考え、どのように生きているのか。
この連載では、イラク戦争開戦から8年を経たイラクの状況を、取材を終えたばかりの玉本英子へのインタビュー記事と写真とで具体的なエピソードもまじえてお伝えします。
(編集部)
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第一回 くすぶりつづける宗派間抗争
― 今回の取材目的は? ―
(玉本)
3つの目的を念頭においていました。
目的のひとつは、2006年頃から始まった宗派間抗争、イラク人同士の争いがその後どうなったのか。2つ目は、米軍の戦闘部隊が昨年夏に撤退しましたが、その後のイラクの治安状況に変化はあったのか。3つ目は、市民生活について。市民はどのような気持ちで日々を過ごしているのか。それらを取材するために、今回はバクダッドを中心に取材しました。
ー いま宗派間抗争はどうなっていますか? ー
(玉本)
私は03年、04年、07年、09年とバグダッドで取材しました。07年は宗派間抗争が一番激しい時で、バグダッド南西部のアメル地区を取材したのですが、当時は道路を挟んでイスラム教シーア派とスンニ派の武装グループが撃ち合い、殺し合いをするような厳しい状況にありました。半数以上の住民が地区を逃げ出しました。
今回4年ぶりにその地区を歩いたのですが、治安状況はかなり改善し、無差別に人を殺し合うような状況ではありませんでした。
8~9割の住民が地区に戻り、学校も再開していました。じょじょに普通の暮らしにもどりつつあるように見えました。
住民に話しを聞いたのですが、「宗派間抗争は収まったし、今は普通に暮らしているよ」と前向きなことを言っていました。
地区のパン屋を訪ねて、ご主人に話を聞いた時も、「お客さんはスンニもシーアも関係ない。みんな同じお客さんだ」と話してくれました。
しかし、いろいろ話を聞いていくうちに、彼はスンニ派なのですが、どうしてもシーア派の人たちに対する恐れが消えないと、胸のうちを語ってくれました。
その理由は、3年前に彼の親戚3人が誘拐され、そのまま殺されたそうです。その遺体は頭をつぶされていました。親戚を殺したのが、いわゆるシーア派の民兵でした。
彼の話を聞いたとき、口では「もう大丈夫だ、宗派間抗争は終わったんだ」と言ったとしても、心の底では恐怖感など、さまざまな思いが消えることはない、ということを感じました。それはパン屋の主人だけではなく、住民が互いに持っている感情だと察しました。
お互いに殺しあった過去は簡単には消えない。そして、かつて共存していた共同体に戻るということは非常に難しい、ということを痛感しました。
― イラク戦争前は、スンニ派とシーア派の人たちは争うことなく共存していたのですか?-
(玉本)
そうですね。イラク戦争前はいわゆるフセイン政権下で、人びとは抑圧されて非常に厳しい生活を送っていました。そんななかでも一応宗教は認められていたということもあります。民族間でも政治的なことを主張しなければ弾圧を受けるということはなかったので、フセイン政権下では人びとはなんとか共存して暮らしていました。
フセイン政権下では、バグダッド市内では、スンニ派とシーア派の人が結婚するということはそれほど珍しいことではありませんでした。しかし今は、この宗派間抗争が少しずつ収まってきているとはいえ、シーア派とスンニ派の人たちが結婚するということは、非常に少ないケースになってしまいました。
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