【はじめに】
昨年9月21日、朝日新聞朝刊に歴史に残る記事が掲載された。
見出しは「検事 押収資料を改ざんか」
大阪地検特捜部の主任検事によって押収証拠のデータが改ざんされたことを報じる大スクープであった。
その後周知のように、検察組織は激震に見舞われその存在が根本から問われることになった。
この記事の取材をしたのは、社会部の検察担当の板橋洋佳(いたばし・ひろよし)さんら朝日新聞大阪本社の検察担当記者たちだった。
検察特捜部という国家権力の中枢で起こった不正事件は、どのような取材を経て世に出るに至ったのか。板橋記者にその経緯と意味を聞き、「権力を取材すること」「ジャーナリストの仕事」について討論する会を、2011年3月5日(土)大阪で開いた。この連載はその会の模様を整理したものである。(石丸次郎)
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第1回 公判の中で変わっていく元係長や厚労省職員の供述
(板橋)
みなさん、はじめまして。板橋洋佳と申します。朝日新聞の大阪本社社会グループ・司法記者クラブ(2011年5月10日付で東京本社社会グループ記者)に属し、検察担当をしております。
東京ではこれまで3回、講演する機会をいただきましたが、大阪では今回が初めてです。大阪のみなさん、今日は率直にお話させていただきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
わたしたちの調査報道がきっかけで、改ざんをした特捜検事、その上司である特捜部長、副部長が逮捕され、検事総長も辞任する事態になりました。振り返りますと、一連の報道を通じて何が問われたのかというと、やはり記者の存在意義なのではないかと私は思っています。それは記者の基本姿勢や基本動作が問われているということです。もっといえば、取材力が問われているんだということを、自分に問いかける事件でした。
今日は、そんな記者としての存在意義を含め、一連の取材経緯を通して、実際どのようにわたしたちが考えて行動したのかをお話したいと思います。
取材の端緒は、公判で感じた些細な疑問からでした。
2010年1月から、無罪となった村木さんの公判が始まります。私は捜査段階から検察担当をしていたので、今回の公判が注目を浴びるというのはわかっていましたから、上司の司法記者クラブのキャップと話をして、公判に応援取材にはいることになりました。
少し司法記者クラブのお話をさせていただきますと、現在の朝日新聞の大阪司法記者クラブには公判をメインに取材する裁判担当(平賀拓哉、岡本玄)、大阪地検特捜部などを取材する検察担当(板橋洋佳、野上英文)、それを束ねるキャップ(村上英樹)の計5人で構成されています。この5人で、フロッピーディスクをめぐる証拠改ざんの取材をしました。
話を戻しますと、捜査段階では、元係長の上村さんや厚労省職員などほぼ全員が村木さんの事件への関与を認める「村木さんの指示で偽の証明書が作られた」という供述をしていました。
捜査段階を取材していた当時の私は、村木さんの関与を認める供述は本当ですか、と特捜幹部や検察関係者に聞くと、「村木の関与は間違いない」「10本の矢が刺さっている」と話しました。特捜部は、2009年5月、6月には、いろいろな供述から村木さんの関与は立証できるとしていました。
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