私は朝日新聞で記者として働く以前は、栃木県の下野新聞という地方紙で記者をしていました。栃木は、冤罪事件として記憶に新しい菅谷さんの足利事件があったまさに地元です。
私は下野を辞める直前に、菅谷さんの弁護団が、最新のDNA鑑定技術での再鑑定を訴える記事を2006年の終わりに書いたのですが、その記憶が「鑑定」という手段を想起させました。
先程話した検察関係者との話の中で、改ざんされたフロッピーディスクは検察にないということがわかりました。
そのフロッピーディスクを入手し、鑑定してデータ改ざんの痕跡をみつけることができれば、非常に強い事実として、つまり調査報道記事として、読者に伝えることができると考えました。
2010年8月、改ざんされたフロッピーディスクの入手を次の目標にして取材をすると、フロッピーディスクは、虚偽証明書を作った元係長に返還されていたことがわかりました。
元係長の主任弁護人の鈴木一郎弁護士(大阪弁護士会所属)は、刑事弁護の専門として知られている弁護士でした。公判上の対策としてマスコミ対応をほとんどしないことでも有名でした。
わたしは鈴木弁護士には率直に話をしました。
「フロッピーディスクのデータを検察側が改ざんしているという情報を取材で得ました。それを証明するために、フロッピーディスクのデータを解析に出したい。協力して欲しい」と。
当時の私は安易に考えていて、簡単に「いいですよ」と言ってくれると思っていたんです。ところが、鈴木弁護士に断られました。そんな話は信じられないし、何も協力できない、と言われました。
実は、鈴木弁護士たちも返還された証拠フロッピーディスクのデータをみて、最終更新日時が6月8日になっていることを確認していたんです。でも、公判で提出されたフロッピーディスクの中身が書いてある捜査報告書には、最終更新日時は6月1日と書かれているわけです。
当初、鈴木弁護士もすごく混乱したそうです。
もしかしたら元係長自身が6月8日と偽造してしまったのではないかと疑念を抱いたり、あるいは検察の罠で、これを表に出させることで弁護団の弁護活動を混乱させようとしているんじゃないかと疑ったり、いろんな悩みを弁護団が抱えていた時期でした。
そのような時期に、弁護団の中で最も秘匿している話を私がいきなり確認しに行ったわけですから、鈴木弁護士も簡単に認めるわけにはいかなかったのです。
(つづく) <<前 │ 次>>
【2011年3月5日(土) エル・大阪2F 文化プラザにて】
★板橋洋佳(いたばし・ひろよし)朝日新聞大阪本社 社会グループ記者(2011年5月10日付で東京本社社会グループ記者)
1976年、栃木県足利市で生まれる。99年4月、栃木県の地方紙・下野新聞に入社。2007年2月に朝日新聞に移り、神戸総局を経て08年4月から大阪本社社会グループ。09年4月から大阪司法記者クラブで検察担当。11年5月より東京社会部に移る。共著に、下野新聞時代に取材した「狙われた自治体-ごみ行政の闇に消えた命」(岩波書店)。
第1回