最初の女性ミリシアのメンバーだった”チャハナ”。タバン村フンティバンにある自宅にて。(2009年1月 撮影 小倉清子)
最初の女性ミリシアのメンバーだった”チャハナ”。タバン村フンティバンにある自宅にて。(2009年1月 撮影 小倉清子)

 

チャハナは女性ゲリラになった日のことを話した。
「私たちは武器を集めて、山頂に行きました。そこではゴレがメンバー全員に1人ずつ、額にシンドール(赤い粉)を付けてくれました。そして、私たちはラール・サラーム(こぶしを握って右腕をあげるコミュニストの挨拶)をして"私たちはずっと革命に従事しつづけます。最後の息が途切れるまで敵と戦います"と誓ったのです」

チャハナらは青い色のシャツとズボンのユニフォームを着て活動した。バルワ・バンドゥクの撃ち方も習った。アメリカ人のマオイスト・ジャーナリスト、リー・オーネストがロルパに来たときには、彼女たちが身辺を護衛した。

約1年後、タバン村にマオイストの正規部隊の小隊(プラトーン)が結成されると、女性ミリシアの部隊は解散になった。
その後まもなく、マオイストはロルパ郡北部にあるクレリ村で総会を開いて、正式に人民解放軍を結成するのだが、タバン村の女性ミリシアのなかの若いメンバーは人民解放軍に入隊した。年長者は党組織で活動をするようになった。

チャハナは女性組織のメンバーとなり、再び銃をもつことはなかった。その後ロルパから大勢の女性ゲリラが誕生することになるのだが、「ジョバンサリをはじめとするタバンの女性たちがその道筋をつけたのです」とゴレは誇らしそうに話す。

「女性が党組織のメンバーとなったのも、武装組織に女性が入るのもタバンから始まった」とゴレは言う。
2010年6月、再びタバン村を訪ねたとき、私はほぼ1年半ぶりにチャハナに会った。彼女は党の活動にはあまり参加していないようだった。しかし、嬉しそうに笑いながら近況を話してくれた。

彼女は40歳にして、元夫とよりを戻し、再び同居をはじめていたのである。ネパールの社会ではごく稀なケースと言える。彼女がマガール人だから、ここがタバン村だから、そして、元女性ゲリラだからこその復縁だったのかもしれない。
いずにれしても、彼女の幸せそうな笑顔を見て、私は心からの祝福を伝えた。
(了)


【連載】 ネパール マオイスト・女性ゲリラたちの肖像

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