咸鏡北道茂山(ムサン)郡といえば、何かと耳にする機会の多い地名である。世界でも屈指の埋蔵量を誇る鉄鉱山のある街として、また、会寧(フェリョン)市とならび、脱北者の最大の脱出ルートとして名を馳せてきた(注1)。二〇〇九年、豆満江を挟み、わずか数十メートル先に中国を臨むその茂山郡で、住民の渡河を阻もうとする北朝鮮当局によって、驚くべき措置が採られていたことが明らかになった。
その措置とはクギを打った木の板を、川底に敷き詰めよというものであった。二〇一〇年夏、編集部にこの話を語ってくれたのは、中国の延辺朝鮮族自治州の知り合いのもとで隠れて暮らす茂山郡出身のチャさん(四〇代女性、仮名)。二〇一〇年三月、豆満江を密かに渡り中国にやってきた。
Q:貨幣交換後、国境の警備がずいぶんと厳しいようですが。豆満江を越えてくる人がかなり減りましたね。中国に出てくる前、茂山の警備はどんな様子でしたか?
A:実際かなり強化されていると思います。しかし国境の警備をいくら厳しくしたとしても、結局、お金を使うか(国境警備兵に賄賂を渡すこと)、国境警備の事情をよく知る人に頼れば渡河できてしまうんです。そこで国は、豆満江の川底にクギを打った板をずらっと仕掛けておいて、知らずに川に入った人が踏むようにしたのです。
Q:それは初めて聞く話です。本当ですか?
A:事実です。そのクギを打った板は、私たち、茂山の住民が実際に作ったものですから。
Q:するとあなたも直接作ったということですか?
A:そうです。所属する人民班で、作るよう指示がありました。
Q:どれくらいの大きさで、どんな形をしていたのでしょうか。
A:長さは一メートル五〇センチくらいです。板の裏からクギを打って、クギの先が表に飛び出るように作りました。去年の話です。
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