北朝鮮の若者たちが、韓流ドラマのスターたちに熱狂するという現象が起こった。二〇〇四年前後のことである。ぺ・ヨンジュンやチェ・ジウ、クォン・サンウらのスターたちの北朝鮮での知名度は、日本でのそれに決して劣らないだろう。厳格に統制されてきた韓国の映像情報は、どのようにして北朝鮮国内に入り込み、拡散していったのだろうか? 韓流ドラマを地下工場で大量にコピーして闇市場に流していたリャン・ジョンウ氏(仮名、平壌[ピョンヤン]在住の三〇代男性)が、その体験を詳細に語った。
外国映画と保衛部要員向け映画が密かに流通
私は平壌の北に位置する平安南道に生まれ育った。私の家もそうだったし、朝鮮の一般家庭でも、一番の憧れの電化製品といえば、長くVHSのビデオデッキだった。値段が高かったので、お金のある一部の日本からの帰国者や幹部以外で、ビデオデッキを持っている家はほとんど無く、休日や祝日になると、ビデオデッキのある知人の家に集まったものである。平壌市内だけで、土曜日と日曜日に放送されていた「万寿台テレビ」で流れた番組を録画したものを見るのがその目的であった。
朝鮮では海外の映像やニュースにほとんど触れることができない。全国放送の朝鮮中央テレビに出てくる外国の消息といえば、朝鮮より貧しいアフリカの国々がほとんどである。「万寿台テレビ」の番組内容は、朝鮮中央テレビとは違い、欧米資本主義のものを含め、外国の映画や漫画(アニメーション)、短い国際ニュースが放送された(旧ソ連や中国、キューバのものがほとんどだった)。「万寿台テレビ」がもし全国に流れると、国民の思想統制が難しくなるから、受信できる範囲を平壌市に限定していると、巷ではいわれていた。それで、平壌の外の地域では、「万寿台テレビ」の番組を録画したものを求めて見るようになったわけである。
九〇年代に入ると、次第に、中国から密輸されたり、外国出張者が密かに国内に持ち込んだりした「不法録画物」を、親しい人同士がこっそり集まって見るようになった。一般住民の間に広がったのは、香港映画(主にアクションやカンフー映画)や米国映画だったが、朝鮮の「保衛部時事映画」とよばれるものも回ってくることがあった。保衛部は政治事件を扱う情報機関である。
「保衛部時事映画」とは、保衛部要員たちがスパイを捕まえるのに参考とする映像資料や映画のことだ。「これがアメリカだ」「現代盗聴技術の発展」というタイトルのものや、米国のスパイ映画「007」[原文ママ、実際はイギリス映画(編集部注記)]も混じっていたと記憶している。「保衛部時事映画」は当の保衛部員を通じて一般社会に拡散していった。見るものが増えて、人々の間でビデオデッキに対する憧れは日増しに高まっていた。
私は大学入学を機に平壌に住むようになった。平壌では、学校や職場の会話で、最近どんな映画を見たのか、最近流行っている映画は何かなどが話題になることは珍しくなかった。だが、家族と一緒に見た映画内容を子供が学校で自慢げに話してしまい、それが保安員(警察)の耳に入って、家族全員が追放されたという事例はいくらでもあった。友人や知人同士が集まって見る場合、そのうちの一人が密告したために、その場にいた全員が労働鍛錬隊(短期の強制労働をさせられる施設)に連行されたり、追放、場合によっては懲役に送られることもあった。
(つづく)
談 リャン・ジョンウ
整理 ファン・ミラン
二〇一一年三月