(石丸)
今回改めて考えたのは、ジャーナリストは個人だということです。
組織でやることも、もちろんあります。でも記事を書いて、実のあるものにしていくのは、日々の努力だろうし、誠実な態度だろうし、執念だろうし、志だと思うんですね。
それは個人だろうと改めて思いました。
メディアの危機が叫ばれて久しいですね。
テレビも新聞もいわゆるビジネスモデルの袋小路に入りつつあって、これは世界的な傾向ですけれども、日本の場合も新聞社、テレビ局が売り上げを落としているというなかで、人減らしとか支局を閉鎖するとかいろんなことが起こっています。
ただ、だからといって、ジャーナリストであるわたしたちがやるべきことの中身は、核心に近づくためにどうしたらいいのかということであってまったく変わらないわけです。
結局、取材は個人の営みだということを、改めて板橋さんの話を聞いて確認しました。
いま、発信したい、表現したい人間にとってとてもいい時代でもあります。一昔前は、私たちは新聞や雑誌に寄稿するチャンスをもらわなければ影響力のある発信はできなかった。
ところがインターネットはもちろんのこと、携帯、アイパッドのような端末の発達によって伝えたいことを発信することが可能になってきました。でも、その中身は同じですよね。新聞社もフリーランスもやることは同じです。
間違いなく言えるのは変動の時期にきているということ。
メディアの凋落というかたちで表現されることが多いですけれども、そうではなくて、これは新しいジャーナリズムの発展、転換、楽しいことができる、面白いことができる、そういう時代に差し掛かっていると考えていきたいと思います。
(板橋)
記者をしていますと、取材相手に目がいき、読者の存在を忘れてしまうことがあります。でも今回のような講演の機会をいただいて、読者のみなさんとこんなに近くで率直な意見を交わすことに少し興奮しています。
検察の不正だけでなく、まだ読者に伝えられていない、埋もれているファクトが世の中にはいっぱいあります。そういう事実を地道に探り分析して記事にしていくことが記者の仕事と思いながら、日々の取材をがんばります。今日はお時間をいただき、ありがとうござました。
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【2011年3月5日(土) エル・大阪2F 文化プラザにて】
★板橋洋佳(いたばし・ひろよし)朝日新聞大阪本社 社会グループ記者(2011年5月10日付で東京本社社会グループ記者)
1976年、栃木県足利市で生まれる。99年4月、栃木県の地方紙・下野新聞に入社。2007年2月に朝日新聞に移り、神戸総局を経て08年4月から大阪本社社会グループ。09年4月から大阪司法記者クラブで検察担当。11年5月より東京社会部に移る。共著に、下野新聞時代に取材した「狙われた自治体-ごみ行政の闇に消えた命」(岩波書店)。
大阪地検特捜部証拠改ざん事件報道を、朝日・板橋記者と語る 第1回