解説 北朝鮮の金生産
北朝鮮には金が豊富に埋蔵されている。金山として名高いのは、平安北道の雲山(ウンサン)金鉱である。高麗時代に採掘が始まり、李氏朝鮮時代の一九世紀末に米国人ジェームス・モースに鉱業権が売却された後、日本の植民地時代末の一九三九年に日本鉱業(現JX日鉱日石金属)が買収した。推定埋蔵量は二〇〇〇トンあまりだといわれる(注2)。

この雲山金鉱は、現在も金の質がとても良いことで、北朝鮮随一の金山として名高い。産出した金鉱石は金鉱製錬所に運び込まれ、金を取り出す工程を経て金塊となる。代表的な製錬所は南浦(ナムポ) 、海州、そして江原道の文川(ムンチョン)にあったが、南浦と海州は稼働を中断している。

南浦は閉鎖してしまったという情報もある。文川金鉱製錬所には二〇〇六年二月に金正日総書記が現地指導している(同月二七日の「朝鮮新報」による)。また北朝鮮では、あちこちで砂金が採れる。砂金採取は田畑や空き地で行うので、金鉱山のような開発をするわけにはいかず小規模の作業になる。

北朝鮮において金は厳重な国家管理品であり、金総書記の資金源である点が他の鉱物資源とは異なる。労働党の中に「三九号室」という党の運営資金と金総書記の資金作りを担当する部署があり、金鉱山はこの「三九号室」が管理しているとされる。〇六年二月の文川現地指導には「三九号室」の幹部といわれる金東雲(キム・ドンウン)氏が同行していた。

砂金採りは、七〇年代中盤から国民を動員し「忠誠の外貨稼ぎ事業」として展開されて来た歴史を持つ(脱北者のリ・サンボン氏の証言に拠る)。この事業において民衆は、指導者に対する忠誠の証として、マツタケや漢方薬の材料となる薬草、砂金など、外貨獲得に繋がる物を採取して納めるために動員された。

「職場から選抜されたものが、砂金採りに動員されたり、数週間山の中にテントを張ってマツタケを採ったりするんです。一九七六年に砂金採りに行った時は、一〇人の二ヶ月間のノルマが一二〇グラムでした。もらえるのは感謝状ぐらいのもので、ほとんどただ働きでした」とリ・サンボン氏は当時を振り返る。

この「忠誠の外貨稼ぎ事業」は、大量の餓死者を出した九〇年代の社会混乱期に途絶えるが、九九年頃から再開されているという。しかし、飢饉を体験した北朝鮮の人々が、腹の足しにならないこの無償奉仕を積極的にやるはずもなく、現在では非常に低調になっているという。むしろ、密かに集めた砂金を、チャンさんのような商売人に売れば収入になるので、取締りをかいくぐって多くの人が砂金集めで生計を立てている。

北朝鮮の金生産量についてははっきり統計がない。例えば米国地質調査所(USGS)が発行する「Minerals Yearbook」では、〇五年~ 〇九年の金生産量は毎年二〇〇〇kgとだけ記している。北朝鮮は二〇〇六年四月に五〇〇キロ、五月には八〇〇キロの金塊をタイへ輸出し、計約二八〇〇万ドル分の外貨を得ている。また同年、ロンドン金市場に加盟している。
(つづく)

注1 沈殿池:製錬の過程で発生する廃水を処理するための施設。水に含まれる比重の重い金属類を沈下させ水を綺麗にする。結果として池の底に金属を含む土砂が溜まるため、沈殿池の跡地は効率よい砂金採集の場所となる。
注2 韓国の統計庁が毎年発行している「北朝鮮の主要統計指標2010」に拠る。

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