芸術家アパートを訪問し酒を注ぐ金正恩。金正日に同行したこの視察は記録映画になっている。(2010年10月 朝鮮中央テレビより)
芸術家アパートを訪問し酒を注ぐ金正恩。金正日に同行したこの視察は記録映画になっている。(2010年10月 朝鮮中央テレビより)

証言 民心は無関心から反発、離反へ  2
整理 石丸次郎/リ・ジンス

「貨幣交換」措置で民は背を向けた
様相が変わったのは、〇九年一一月に実施された「貨幣交換」措置、いわゆるデノミの断行によって、北朝鮮社会が大きく動揺してからであった(記事「混迷深める北朝鮮経済」に詳細)。政権に対する厳しい反発を、取材で出会うほぼすべての人が口にしたのだ。
「これまで人民たちは騙され続けてきました。今に良くなる、もう大丈夫、二年後に良くなると。私はこれまで国家に忠実に生きてきましたが、一二年に強盛大国にならなかったら、われわれは闘わなければなりません。この制度にはもうついていけない、反対する」。
(一〇年七月 黄海南道甕津(オンジン)郡から中国に来た六〇代男性)

こんな激しい言葉を口にする人が決して珍しくなくなった。経済はパニックに陥り、社会の雰囲気は殺伐としていった。
それでも、金正日政権は金正恩お披露目のスケジュールを進行させる。金正恩は一〇年九月の労働党代表者会で党の役職に就くとともに、初めて公に姿を現した。一〇月の労働党創建記念日には、平壌(ピョンヤン)で行われた軍事パレードに参加、金正日とともに閲兵に臨んだ。外国のメディアが大挙招かれ、世界に後継者金正恩をしっかり印象づけるセレモニーは成功した。

これ以降、金正恩は度々金正日の現地視察や公演観覧に同行し、国営メディアにも登場するようになった。明らかに祖父の故金日成主席を真似た髪型と詰襟服。権力者たちが採用した金正恩のイメージ戦略は、斬新さや若さではなく復古調であった。それは、「来たる金正恩時代もわが国の制度は変わらない。それを肝に銘じておけ」という国民へのメッセージではなかったか。

そんな金正恩の姿を見た民衆は、経済混乱に対する反発の矛先を、金正恩にも向けて行くことになる。いくつか声を紹介してみよう。
「今、庶民の生活状態は最悪。党代表者会では、てっきり深刻な経済難についても討議されると思っていたのに、正恩の姿を公開しただけで終わり。人々は集まると不満ばかりです。

こんな経済状態で政権はあと何年持つのだろう、とも言い合っている。正恩が出てきたことについては、これでは昔の封建王朝と同じではないかと文句を言っている。人民の生活苦を解決しようなんて気はこれっぽっちもなく、(金一族は)自分たちの執権を続けていくことしか考えていないのだと、私もあらためて思った」。
(一〇年一〇月 両江道の四〇代の農民女性)

「住民の心は本当に離れましたよ、住民も馬鹿ではありませんから。党代表者会についても『自分たちの家(金一族)のことだけを決めたかったのだろう』と文句言う始末ですから。このまま五年経ったら何が起こるかわかりませんよ」。
(一〇年一〇月 咸鏡北道茂山郡の五〇代の鉱山労働者の男性)

また、キム・ドンチョル記者からの報告によると、金正恩が姿を現した後、人民班や職場の細胞秘書(末端党員の幹部)会議で、金正恩の偉大性の宣伝や偶像化作業が徐々に活発化したという。だが、露出が増えその存在がアピールされればされるほど、現在の暮らしのしんどさと相まって、金正恩への嫌悪や反発が募っていると、次のように内部の雰囲気を伝えて来た。
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