5. 最近の運行状況
二〇〇九年一一月の「貨幣交換」後の北朝鮮経済の混乱は、「サービバス」にどのような影響を与えたのだろうか。二〇一〇年三月、キム・ドンチョル記者は中国某所で行われた編集会議の席で、貨幣交換前との違いを以下のように語っている。
石丸:貨幣交換前と比べて、サービバスの運行状況はどうですか?
キム:大分減りました。例えば平城--新義州間の場合は、毎日五台あったバスの本数が二台にまで減りました。
石丸:運行する会社の数も減りましたか?
キム:減りました。
石丸:乗客が減ったからバスが減ったのでしょうか。
キム:お客も減ったけれど、運行する会社の資金繰りが厳しくなったのでしょう。
石丸:キム記者が乗車したとき、バスの混み具合はどうでしたか?
キム:空いていました。朝一〇時にバスに乗り込んだのですが、乗客が埋まるまで待たされて、出発は午後五時でしたよ。
石丸:バスが減って不便な人もいるでしょう
キム:そうです。急いで新義州に行かなければならない人は困るでしょうね。
「貨幣交換」措置によって、北朝鮮で拡大の一途であった市場経済は大きな打撃を受けた。そのため、人と物の移動も相当縮小してしまったようである。
* * *
見てきたように、従来の「遅い」鉄道に取って替わる「速い」移動手段への需要があって「サービ車」も「サービバス」も、北朝鮮国内の移動手段として揺るぎない地位を占めるようになった。金を出しさえすれば、一日で北朝鮮全土を移動できるようになったので、モノと人の移動、すなわち流通が飛躍的に促進されたことは繰り返し述べたとおりである。
わずか十数年で、全国に長距離バスネットワークが構築された事実は驚きであるとともに、それを実現したのが朝鮮労働党の政策や偉大なる将軍様の指導でなく、市場のパワーであることも特筆すべきことだ。この「交通革命」とも呼ぶべき現象は、新興の市場経済の力、言わば北朝鮮の民衆の生活力が無ければ起こり得なかった。市場のパワーが北朝鮮社会の仕組みを変える原動力になっていることがお分かりいただけると思う。
さらに、この「交通革命」は、国民をがんじがらめに縛り付けていた移動統制システムを大いに緩和させることにも一助したといえる。長距離移動が促進されることにより、通行証の必要性が増したため、その入手も比較的容易になった。結果、以前よりも移動の自由が拡大したのである。
また見過ごしてならないのは、この「交通革命」の担い手が、軍や保安部などの権力機関である点だ。北朝鮮式社会主義の守護役である権力機関が、市場の中に入って金儲けを追求しているわけで、言い換えれば、守護すべき体制を切り崩す働きを担ってしまっているのである。権力者たちにとっても、富を得られる市場が、誘惑断ちがたい魅力的な場所になっていることを物語っている。
「看板は社会主義、中身は資本主義だ」とキム・ドンチョル記者はしばしば言う。リ・サンボン氏によると、「サービバス」の出現後、その便利さを知った民衆はこぞって「昔からこうすればよかったのに」と話していたという。
まさに、今の北朝鮮社会の実情を正確に表す言葉だと思う。
※追記
四月五日になって、咸鏡北道に住むリ・サンボン氏の知り合いから電話があった。「ウルリム」会社の幹部たちが、収益のうち国家に納めるべき金を横領したとして党中央「検閲グルパ」(取締り組織)に逮捕され、会社は潰されたという。「ウルリム」会社が持っていたバス路線などの権益(ワクと呼ばれている)は、他の組織に委譲されたという。事件の背景に権力内の利権争いがあるものと推測されるが、事件の詳細や発生時期は現時点では不明。
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注1 「一〇号哨所」:平壌へと向かう主要幹線のすべてや国境付近の都市への入り口に設置されており、特別な通行証を所持しているか厳しくチェックする。