全国空襲連などが主催した交流集会

 

「命は平等」の法律求める
民間人の戦争被害補償~交流集会の報告 / 栗原佳子(新聞うずみ火)

空襲や艦砲射撃など戦争被害に遭った全ての民間人への国家補償実現を求める交流集会が2011年8月11日、那覇市の沖縄県男女共同参画センター「てぃるる」で開かれた。
立法化の運動を進める「全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)」と「沖縄10・10大空襲・砲弾等被害者の会」が主催。

沖縄の戦争体験者や遺族をはじめ、東京大空襲訴訟の原告や弁護団、九州の空襲体験者ら100人が参加した。運動を全国に広げるため、住民を巻き込んだ激しい地上戦が展開された沖縄を皮切りとして、全国各地で交流集会を開いていくという。
主催者を代表して最初に空襲連共同代表で東京大空襲訴訟弁護団長の中山武敏弁護士があいさつ。

2010年8月発足の空襲連について、
「東京大空襲訴訟は一審で敗訴したが、裁判所は『一般戦争被害者を含めた戦争被害者に対する救済、援護は国会が立法を通じて解決すべき問題である』と明言した。それが空襲連結成につながった」と振り返り、
「これまで国会には『戦時災害援護法案』が14回も提出されているが、与党の反対で成立しなかった。これ以上放置することは許されない」と述べた。

続いて「沖縄10・10大空襲・砲弾等被害者の会」顧問弁護団長で、東京大空襲訴訟弁護団の瑞慶山茂弁護士が、「放置された沖縄民間戦争被害者の実態と救済立法の内容と展望」について特別報告を行った。
沖縄戦の場合、「戦闘参加者」と認定された戦争被害者は、準軍属として扱われ、戦傷病者戦没者遺族等援護法の対象とされている。しかし、それ以外の戦争被害者には補償はないまま。その数は死者・負傷者あわせ、推計で10万人にものぼるという。

瑞慶山弁護士は、
「きわめて不条理で合理的理由がなく、憲法の定める法の下の平等に違反している。『戦闘参加者』という不条理な条件をなくして、戦争に起因して死亡・負傷した人は全員補償すべき。命は平等だという観点からも新しい法体系をつくるべき」だと強調した。

「沖縄10・10大空襲・砲弾等被害者の会」は、2010年10月に発足。空襲連の加盟団体の一つで、立法化に向け署名活動を展開。東京、大阪に続き、集団訴訟の提起も検討している。
同会代表世話人の安里清次郎さん(76)は沖縄戦当時10歳。在郷軍人による「防衛隊」に召集された父は戦死。母と姉、2人の妹も南部の激戦地で相次いで倒れ、一人ぽっちになった。

安里さんは切々と体験を語り、「さびしくて辛くて。夢も希望もなかった。戦後66年、日本政府から一銭の援助も謝罪もなかった。国から、すまなかったといってほしい」と声を詰まらせた。
会場からも発言が相次いだ。

内間善孝さん(74)も戦争孤児。6人家族で南部戦線を逃げ惑い、一人生き残った。
「終戦後は親のいない苦しい生活。幸福な生き方ではありませんでした。戦争さえなければ幸福だったのにと、いつも思っています」と、訥々と言葉を振り絞った。
母親がサイパンで亡くなったという男性は「こういう運動があるのを心待ちにしていた。原告に加わりたい」と期待を込めて話した。
「新聞うずみ火」:http://uzumibi.com/

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