◆四日市公害の〝負の遺産
じつは石原産業の酸化チタン廃棄物は四日市公害の時代からつづく〝負の遺産〟である。1970年代に工場からタレ流しして伊勢湾を「死の海」に変えた硫酸廃液がまさにフェロシルトの原料である。当時はまだ放射性物質の混入は知られていなかった。

放射性物質の問題が明らかになるのは80年代後半のことだ。同じく酸化チタン製造で発生する硫酸汚泥の「アイアンクレイ」が捨てられたごみ処分場で、高い放射線が検出されたのである。
このとき石原産業など酸化チタンメーカーで製造が一時停止に追い込まれるなどしたため、科学技術庁など四省庁がいわば現状追認のため管理指針を作成。だが、当初から「甘すぎる」と批判される代物だった。

石原産業や行政が「安全」の根拠としているのはこの指針で、根拠がきわめて薄弱なものだ。しかもアルファ線による内部被曝の影響についてほとんど考慮していない。
指針はあくまで処分のためのものだが、石原産業はこれを勝手に「リサイクル」にまで適用する拡大解釈をしていた。三重県も「リサイクル製品」の認定時に、これを追認した。

通達を作った側に取材すると、環境省は「ふつうの土ではなく、きちんと管理する必要がある」といい、経済産業省は「指針はあくまで処分場に埋め立てるためのもの。リサイクルに適用するのはおかしい」と、ともに否定的な見解だった。だが、指導や処分に動くことはなかった。

「自然界に存在する比較的低レベルの放射性物質については規制法が存在しないんですよ」と経産省などは説明するのだが、フェロシルト騒動の原因となったのはかれらがその場しのぎで作った根拠のない指針であり、責任逃れの言い訳でしかない。(つづく)
(初出『週刊金曜日』2005年11月18日号※文中の年月や関係者の肩書きなどは発表当時のまま)

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