◆津波で家ごと
あの日、阿部さん夫妻は海岸に近い伊勢町の自宅で地震に遭った。家財道具が倒れ、外へ飛び出した。海岸までは1キロ。目の前には松林も植えられていた。
「津波がここまで来るわけがない。来ても床上ぐらいだろうとたかをくくっていた」と、阿部さんは振り返る。
自宅に戻ると、愛犬が激しく鳴き出した。何かあったのかと思い、もう一度、外へ出たが、変わったこともない。
「ゴー」という音を聞いて振り返ったが、見えるのは松林だけ。阿部さんは自宅に入って片づけ始めた時だった。何気なく、後ろを振り返ると、山のような真っ黒な津波が迫っていた。
「おっかあ、柱にしがみつけ!」
津波は家ごとそっくり持っていった。フミ子さんも流された。阿部さんも海の中に沈められたが、もがき苦しみながらも顔を出すことができた。
流れてきたタンスにしがみつき、回転しながら1㌔ほど流されたが、幸いにもタンスはスーパーの屋上に横付けされ、飛び移ることができた。
「ゴーゴー」という凄まじい音を立てて、濁流は右へ左へと流れている。水位は引きそうもない。ほどなく、雪が降り始めてきた。濡れた身体のままでは凍死する。阿部さんは下へ降りようと、かぶせていたトタンを蹴り破って足を降ろした。
ふわふわした感触が延ばした足に伝わってきた。遺体だった。
ようやく水位が引き始め、アルバイトとして勤めていた会社で一夜を過ごしたあと、阿部さんは甥の勧めもあり、高台にある洞源院へ避難した。
その日のうちからフミ子さんの行方を訪ね歩いた。阿部さんの足は避難所から遺体安置所へと向けられる。
遺体が見つかったのは4月20日。「C1336」という札が付いていた。
火葬を頼もうにも市側の施設は満杯だった。市は「いったん土葬にする」という。阿部さんは「おっかあはやっと泥の中から見つけ出されたのに、もう一度、土の中へ入れるのはかわいそうだ」と息子が住む横浜に運び、特例で荼毘に付してもらった。
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