Yoi Tateiwa(ジャーナリスト)

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【連載開始にあたって  編集部】
新聞、テレビなどマスメディアの凋落と衰退が伝えられる米国。経営不振で多くの新聞が廃刊となりジャーナリストが解雇の憂き目にさらされるなど、米メディアはドラスティックな構造変化の只中にある。 いったい、これから米国ジャーナリズムはどこに向かうのか。米国に一年滞在して取材した Yoi Tateiwa氏の報告を連載する。

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第1節 ウィッキーリークスと調査報道(9)
◆ アサンジはジャーナリストか?

ニューヨークタイムズ本社ビル ニューヨーク photo by Norihide Miyazaki
ニューヨークタイムズ本社ビル ニューヨーク photo by Norihide Miyazaki

アサンジはスカイプを通じて、会場でのこれまでの議論も聞いていたのだろう。批判の手を緩めない。
「ニューヨークタイムズは我々を情報源と位置づけ、その姿勢を変えていない。それは、あくまで自分達はその情報を寄せられたから報じたということを印象づけて、自分達を守るためだ。最初からニューヨークタイムズは賢く立ち回っていた」

ここで司会のシェイファーが割って入って、ケラーに尋ねた。
「ニューヨークタイムズは情報源を中傷するのか?」

この質問には説明が必要かも知れない。ニューヨークタイムズがWLと決別を宣言した記事とされるものがある。これは編集局長のケラー自らが書いたものだ。その中でアサンジ個人を中傷するかのような記述が使われている。

WLは情報源なのか、それともジャーナリズムの仲間なのか。ニューヨークタイムズはWLを情報源だと位置づける。では、情報を提供してくれる存在を記事で中傷することがあり得るのか?シェイファーの「情報源を中傷するのか?」との問いは、その点をついたものだった。

しかしケラーは表情を変えない。マイクを引き寄せて、次の様に語った。
「記事の中でのアサンジ氏についての表現は、取材をした記者の感想をそのままクォートしたものだ。私自身はアサンジ氏と直接会ったことはない。記事の全体の文脈はなぜニューヨークタイムズがWLと関わることになったのかを説明したものであり、アサンジ氏に対する表現が全体の文章のほんの一部でしかないことは読んでもらえればわかる。

一方でアサンジ氏は世界の注目を浴びている公人であり、彼がどういう人物かということを伝えることには意味が有る」
この記事とは、2011年1月26日に出されたものだ。ケラーの説明通り、ニューヨークタイムズがWLと関わるに至った経緯を説明したものだ。しかし取材した記者から伝え聞いた話とは言え、「傲慢でヒステリックで何事も陰謀に絡めて考える、それでいて騙されやすいarrogant, thin-skinned, conspiratorial and oddly credulous」」など、アサンジを中傷していると受け取られかねない記述も見られる。その点を突いた司会のシェイファーの質問だった。

何れにせよ、ケラーの主張はアサンジにとっては、納得できるものではなかった。アサンジのニューヨークタイムズ批判は止まらない。
その時、イギリスの日刊紙「ガーディアン」のニック・ディビスがアメリカのジャーナリズム全体の問題だとして、次の様に語った。

「アサンジ氏はジャーナリストではないという説明が浸透しているのがアメリカだ。本を書き、ウィッキーリークスというメディアの発行者であるアサンジ氏をなぜジャーナリストとして認めないのか?それは憲法修正条項1条の保護対象とさせないためだ。これはアサンジ氏を訴追しようとするアメリカ国防総省の狙いそのものだ。

ヨーロッパ各国でアサンジ氏を守ろうという動きが広がる中で、アメリカだけが異質だ。これは極めて憂慮すべき事態だ」
ディビスの指摘は、その後はヨーロッパでも必ずしも共有されなくなっている。しかし、この時点では、「ガーティアン」も含めてヨーロッパのメディアはアサンジ支持で固まっていた。ディビスの発言を受けてアサンジも勢いづいた。

「アメリカのメディアは一般的に外国の問題を取り上げない傾向にある。だから、我々が得た公電を流す意味が大きい」。
この時、初めてケラーが自ら発言を求めた。

「ニューヨークタイムズには40人の献身的な海外特派員がおり、昼夜、身体をはって頑張っている。今の発言はそうした特派員への根拠の無い中傷であり、許容できない」
これに対してアサンジは、次の様に話した。

「アメリカのメディアが外国の問題を取り上げないというのは、その40人の特派員の声だ。彼らの献身的な活動に本社が応えていないという意味だ」
この発言に場内から割れんばかりの拍手が起きる。何をどう話してもケラーに、否、ニューヨークタイムズに分が無いといった感じだ。明らかに、ワシントンDCで開かれたセミナーとは雰囲気が違っていた。

パネルディスカッションは2時間ほどで終わったが、会場に集まったジャーナリストは席を立たない。スカイプ画面のアサンジも去らない。昼の12時だ。パネラーが席を立ち食事へと出た。しかし会場の雰囲気は、ここでの終幕を許さなかった。急遽、会場からアサンジに自由に質問を投げて良いということになった。
「次に発表する公電の内容は?」
「それは、ご期待としか言えない」
「他の国のメディアとの連携は有るのか?」
「いろいろと検討している」

様々な質問が矢継ぎ早に出される中、アサンジは笑顔で応える。憧れも有るのかもしれない。ジャーナリズムを学ぶ学生からは、お追従と言えなく無いような質問も散見された。

こうした中、年配の女性ジャーナリストが、「あなたはあなた自身をジャーナリストだと考えるのか?」と質問した。
その質問にアサンジは一瞬ためらいを覚えたかのような感じを受けた。しかし画面のアサンジは語り始めた。

「なぜ私がジャーナリストではないのでしょうか?私は何冊も本を書いている。メディアの発行者です。私がジャーナリストでなければ、では私は何でしょうか?」
ためらいは私の気のせいだったかもしれない。その後のアサンジの言葉はよどみない。アサンジの言葉に賛意を示すかのように、会場から盛大な拍手が送られた。

私は会場の丁度、中腹のあたりに座っていた。ふと斜め前を見ると、ケラーが座っていた。ケラーは表情を変えずに目の前のアサンジを見続けている。盛大な歓迎を受けるアサンジ。熱心に質問する会場のジャーナリスト達。そのやり取りを見続けるケラー。

ケラーはなぜこの場に来たのか?私でさえ知っていた特別ゲストの正体を、ケラーが知らなかったとは考えにくい。アサンジから集中攻撃を受けることは想像できただろう。しかも場所は西海岸。ニューヨークから飛行機を乗り継いで来た筈だ。

ニューヨークタイムズの編集局長という重職だ。来ない理由はいくつも作れるだろう。それでもパネラーとして壇上に上がり、集中砲火を浴びたケラー。

私は、パネリストとしての仕事が終わっても会場でのやり取りを見続けるケラーにも、アメリカのジャーナリズムの奥の深さを見ずにはいられなかった。
(つづく)
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