ふと耳にした庶民の本音
車内の雰囲気は、とても良いとは言えなかった。以前はそれでも、明るく談笑する人や大きな声で話す人もいたのに、車内には緊張感が漂い、乗客同士も声をひそめて話していた。金正日が死んで間もない時期に、政治への不平を口にする不満分子とみなされたり、逆に笑いを見せて「哀悼の気持ちが足りない」と思われてはたまったものではない。自己防衛のためにじっとしているのである。
金正日が死ぬ前よりも、バスの本数は明らかに減った。朝鮮のバスは一回の運行で最大限の儲けを出そうと、席が埋まるまで発車しない。別段、国が運行回数を統制しているわけではない。金正日の死後、人々の移動統制が厳しくなって商売の規模が縮小し、結果として商売人のバス利用が減ったことが、本数減少の原因だろう。
車内はぎゅうぎゅう詰めだ。座席の間の通路に荷物を置いてその上に座る人、床の隙間に足をねじこみ、立つ空間をやっとのことで確保している人もいる。。ある乗客などは、ほとんど片足で立っているように見える。沙里院から海州までは5時間以上かかるというのに、あれでは大変だろう。バス代は15000ウォン(約340円)。途中の哨所(注1)では持ち物検査のため、ポケットまでひっくり返された。
「商売を禁止してもらっては困る」「庶民は商売で生きているんだから」それまでひそひそ声で話していた女性たちから、こんな声が聞こえてきた。思わず話に熱が入ったのだろう。朝鮮では金正日や金正恩についての政治的な批判を人前で話すと大変なことになるが、暮らしの不満を口にする程度ならさして問題にならない。
それとなく女性たちのグループを窺うと4、50代が数人、いずれも商売人のようだった。注目を集めたことに気づいたのか、再び声が小さくなる。たまたま近くに座っていた私は耳を澄ました。「新しい指導者が商売をしやすくしてくれたらいいんだけど」「そうなったとしても、これまでと同じよ。幹部のお腹だけふくれて、庶民は今みたいに苦しいままよ」。
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