2012年1月末、黄海道一帯に取材旅行に出かけた具光鎬(ク・グァンホ)記者。黄海南道の中心都市海州(ヘジュ)市を後にし、次に向かったのは穀倉地帯として、北朝鮮の食糧供給を支える農村地域だった。ク記者は農場幹部から、疲弊した農民の暮らしについて生々しい証言を聞かされる。
一変した風景
海州からは西に向かい、知人が幹部を務めている農村の○○里に向かって歩いた。交通の便がすこぶる悪いため、歩いて行くより方法がない。道すがら村の一つ一つに入って聞き取りをしながらゆっくり○○里に向かおうと思ったが、行商人でもないよそ者が長居するわけにはいかない。また、ここは韓国と近接している地域であるため、人の出入りに対して警戒が厳しい。冬の寒さのためだろう、閑散として人影もまばらだったし、誰かをつかまえて村の細かい事情を聞いていては、色々といらぬ疑いを招く恐れがある。そのため、足早に目的地へと急いだ。
○○里はそう大きくない農村だ。西海(黄海)に面しており、住民は300人ほどだろうか。寒いせいか、やはり外で働いている人はほとんどいなかった。農場では主にコメを作っており、他にはトウモロコシなどを少し耕作している。村に入ってまず驚いたのが、農村ならば今の時期には必ずあるといってもいいはずの、収穫物の山が見えないことだった。秋に収穫した稲は、脱穀する前に風通しの良い倉庫に積んでおき、十分に乾燥させるのが慣わしだ。この時期の風物とも言える山と積まれた収穫物が、今年はなぜ見当たらないのだろうか・・・。
この質問に答えてくれたのが、旧知の作業班長(注2)、張さんであった。
「本来なら干すところだが、すでに軍糧米として全て軍に納めたよ。軍糧米は以前なら、穀物が乾き切ったあと、脱穀を終えた一月や二月に出せばよかったのだが、干しておいたら腹を空かせた農民たちが盗んで行って、量が減ってしまうからと、今では収穫後すぐに軍に出さなければならない決まりだ。軍も食糧確保が大変なんだろう」。
張さんはさらにこう続けた。
「今年の秋の収穫期には、俺は作業班長ではいられないだろう。納めた軍糧米が計画量よりも少なかったからな...。上の管理委員会では『どうしてあらかじめ決められた量を満たせないのか』とカンカンだ。でも俺は『これ以上、作業班の農民を働かせることはできない』と突っぱねてやった。農民の家を訪ねてみれば分かるさ。釜のふたを開けてみても空っぽなんだから。そんな飲まず喰わずの人たちをつかまえて、無理やり働かせるわけにもいかないよ。以前のように収穫したものを干しておいて、彼らがそこから盗んでいくことを黙認すれば、多少は余裕があったんだろうが...」。
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