ナチスの爪あと訪ねて(その2)
第2次大戦末期、米英軍による無差別空爆に見舞われたドイツ。東部のドレスデンは市街地の8割近くが破壊された大空襲から67年目の2月13日、東京、大阪の空襲被災者らと現地を訪れた。ベルリンに残された「ナチス・ドイツの爪あと」を引き続きご報告する。(うずみ火 矢野宏)
◆テロの地誌学
壁の南側は旧西ベルリン。かつての秘密警察ゲシュタボやナチ親衛隊本部があり、戦争で破壊されたまま長らく放置されていたという。「古文書にベルリンの名前が初めて登場して750年目の87年、当時の西ベルリン市民の間で『過去を見つめ直す必要がある』という声が高まり、ゲシュタボ地下室の留置場や独房の壁などが市民の手で発掘されました」
そう言って木戸さんが指さした先には、壁の下からレンガ造りの部屋の跡が見える。さらに、放置されたままだった跡地に記念館を建てようという運動が市民の間に起こり、第2次大戦終結65周年を前にした2010年5月7日に完成したのが、ナチスによる暴力支配と戦争をパネルで紹介する資料館「テロの地誌学」である。
開館式で、当時のケーラー大統領は「過去との対話はわが国の自己理解の基本であり、若者の学びの場となることを望む」と挨拶している。
展示された資料によると、ヒトラーが政権を獲得したのは1933年1月。躍進の背景には、共産勢力の躍進に脅威を感じた財界による献金があった。2月末、国会議事堂放火事件をきっかけに共産党を弾圧し、憲法で保障された基本的人権や労働者の権利を停止させた。
3月に入って行われた国会議員選挙でナチスは288議席(全体の43・9%)を獲得。立法権を政府が掌握する「全権委任法」を成立させ、独裁体制を確立。34年8月には大統領死去に伴い、ヒトラーは国家元首を兼ね、国民投票で、80%を超える支持を得た。警察権を握ったヒトラーは、反対派や不満分子を次々に逮捕、処刑していく。ドイツ国民は自ら選んだ独裁者によって不幸のどん底に突き落とされる。
◆ユダヤ人虐殺慰霊碑
ナチスによって虐殺された欧州のユダヤ人犠牲者を慰霊する顕彰碑は、ベルリンの中心・ブランデンブルク門の南側にある。近くにはドイツ連邦議会や各国の大使館、文化施設などが立ち並び、新宿や梅田などに南京虐殺の慰霊碑を作るようなもの。
2万平方㍍の広大な敷地にコンクリート製の棺のようなブロックが2711基。縦2・38㍍、横0・95㍍、さまざまな高さ(0㍍から4㍍以上)で連なっている。幅は1㍍ほどで車いすも通れる設計になっており、中に入ると迷路に迷い込んだかのような感じになる。
ナチスは500万人から700万人のユダヤ人を虐殺したと言われている。さらに、劣等民族や不穏分子というレッテルを張り、ロマ人、ポーランド人、知的障害者や同性愛者なども殺害している。
「ナチスは五体満足で健康なアーリア人純血主義思想の下、この基準に外れる人たちをはじめ、異端者を片っ端から収容し抹殺していったのです」という説明を聞きながら、東京都の石原慎太郎知事が重度障害者の施設を視察したあと、「ああいう人ってのは人格あるのかね」「安楽死につながるんじゃないか」と語った言葉を思い出した。
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