一方、ピースおおさかは1989年、府と市の出資により、財団法人大阪国際平和センターが設立され、2年後の91年に開設した。かつて東洋一の軍事工場と言われた「大阪砲兵工廠(こうしょう)」があった大阪城公園内に立っている。
設立当時を知る「大阪戦災傷害者・遺族の会」代表の伊賀孝子さん(80)はこう振り返る。
「南港なら広い土地があるのでどうかという意見もあったのですが、『それでは意味がない。戦争には加害と被害があるのだから、それを伝えないと』という声が多く、今の場所にこだわったのです」
大阪砲兵工廠は敗戦前日の1945年8月14日、米軍による第8次大阪大空襲で破壊され、数多くの犠牲者を出したところでもある。
戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝えるため、「大阪空襲と人々の生活」「15年戦争」「平和と希求」の三つの展示室がある。
知事に就任した橋下氏が視察に訪れたのは2008年3月。府からの派遣職員を引き上げ、補助金も大幅にカットした。年間の予算は最盛期の3分の1で、職員も半分の5人に。その背景には1996年10月に産経新聞が展示内容を取り上げ、「税金を使った犯罪行為」と報道して以来、「戦争資料の偏向展示を正す会」が中心となって展示の調査改善について府と市に働きかけたことがあるようだ。
ピースおおさかの地下には、大阪大空襲の犠牲者を追悼するモニュメントがある。伊賀さんらが「せめて犠牲者の名前を残そう」と寺や役所を訪ね歩き、判明した9千人の空襲で亡くなった人たちの名前が刻印されている。「遺骨のない遺族にとってはお墓同然なんです」と伊賀さんは訪れるたび、刷毛で埃をはらう。「戦争を知らない人たちが加害の歴史を消そうとしている。戦争を賛美するような施設になってしまったら、ピースおおさかは潰されたのと同じです」
松井知事はリバティおおさかとピースおおさかとの統合案に言及。橋下氏はすべてゼロベースにして、新たに両論併記の「近現代史教育館」を建設するという構想を公言した。
5月18日付朝日新聞によると、橋下氏は、「両博物館を設立目的から変えたいようだが」という記者の質問にこう答えている。
<補助金を受けないなら目的は自由。受ける以上は決定権は僕にある。その権限を与えてもらうのが選挙なんで。優先順位をつければ、人権博物館に1億円投じるより近現代史の教育をやる。それが僕の価値観>
橋下氏は「新しい歴史教科書をつくる会」系など歴史修正主義に立つ学者らに助言を請うと明言している。「両論併記」とはいうが、教育に関する橋下氏や維新の会のスタンスを見る限り、示威的な内容になることは明らかだ。
橋下氏にとって「大阪は実験台」。全国に歴史教育のモデル館を作ろうと考えていると指摘する声が、にわかに現実味を帯びてきた。
(矢野宏、栗原佳子/新聞うずみ火)