◆玉本英子現地報告 標的にされたヤズディ教徒
イラク北西部のシリア国境地域には、1970年代にフセイン政権がおこなった強制移住化政策の傷跡がいまも残る。この地方だけでも、140におよぶ村々が破壊され、土漠地帯へ移住させられた。
ニナワ県西部ギルオゼール町に暮らすセルマン・ハラフさん(42)は、かつて山あいにあった村に暮らしていた。そこにイラク軍がやってきたのは1975年。移住せよ、という政府命令をいきなり通告されたという。
「突然イラク兵たちが家に押し入ってきて、すべてを破壊した。その日のうちに外に放り出された」。
移住先は、広大な土漠地帯の真ん中だった。
移住を強いられた多くがヤズディ教徒[注1]の人たちだった。神を信仰するが天使を重要とするかれらは、一神教のイスラム教徒たちから差別や弾圧を受けてきた。またヤズディにはクルド系が多いこともあり政権に敵視された。
人々は移住先の土漠地帯を開墾、整備し、なんとか町や村を作りあげた。だがフセイン政権崩壊から9年がたっても生活は厳しい。県からの予算も十分に割り当てられず、医師が不在の村が多い。 元の村に戻り始める人びともいるが、そこでも厳しい生活が待ち受ける。
その中のひとつ、スケニ村を訪ねた。山沿いにあった集落には、崩れた土壁と家屋がいまも残る。
バキル・ムラット・カラ(50)さんは2年前にスケニ村に帰還した。家を建て直したが、電気がひかれていないため、発電機を1日6時間まわす。水道もないので、井戸の水を使う。生活を支えるのはイラク軍で働く息子だ。
「移住先は地獄だった。土漠地帯には水がなく、生活費のほとんどが水に消えた。フセイン政権が崩壊して、やっとのことで村に戻ると、緑豊かだった村は土漠化され、一からのスタートだった」とバキルさんは話す。
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