東日本大震災から1年3カ月。東京電力福島第一原発事故によって被災地を離れた避難者たちは、先の見えない生活を強いられている。避難生活が長引くなか、当事者同士つながり、支えあおうと動き出した福島の若者たちに話を聞いた。(矢野宏、栗原佳子/新聞うずみ火)
大阪・中央区のオフィスビル。この春、「関西県外避難者の会 福島フォーラム」の事務所が産声を上げた。住宅、就職、医療、原発賠償。避難者が直面する種々の問題を解決するため、弁護士らとも協力し、総合的に支援する。
「県外避難者の中でも、福島県出身者の問題は複雑です。僕自身、避難生活を続ける中で、これらの問題が自分だけでは解決できないと感じ、福島の人たちのネットワークをつくらなければならないと痛感しました。具体的な自立のお手伝いができたら」
代表の遠藤雅彦さん(28)は福島県いわき市出身。大阪市内の市営住宅で避難生活を送る当事者だ。
昨年3月11日、遠藤さんは沿岸部の豊間の自宅で激震に遭遇した。空は晴れ、海は凪いでいた。だが遠くで雷鳴を聞き、津波が来ると直感した。奥尻島の大津波の前にも同じ前兆があったと記憶していた。自宅にいた祖父(81)と母(56)を乗せ、車を出した。まさか、もう二度とこの家に戻ることが出来なくなるとは夢にも思わずに。
◆「故郷のお役に」
大津波、さらに原発事故。遠藤さんは避難先に大阪を選んだ。大学時代を関西で過ごし友人たちが沢山いる。着の身着のままで逃げてきた遠藤さんに、友人たちは、住む場所も、働く場所も、仕事用の背広までも提供してくれた。
遠藤さんは、同じ避難者に思いを重ねた。孤立した状態で、様々な悩みを抱えているのではないか。手探りでツイッターでの発信をはじめた。
つぶやきが縁で福島市出身の避難者とつながった。昨年9月「関西県外避難者の会 福島フォーラム」を設立。その後、福島県の地域づくり総合事業の指定も受け、避難直後から親身にサポートしてくれた大学の後輩、坪倉正佳さん(26)もスタッフに加わった。
「福島の人は声を上げることが苦手な人も多いので、同郷の人間がいることが必要。顔と顔とを合わせ、向き合って初めてわかることもあります。避難者の自立支援とともに福島県への支援もしたい。貢献というとおこがましいですが、福島のために何か役に立てたら、と思っています」
いわきの「みなし仮設」に入居した家族とは一人離れて暮らす。懐かしい家はもう門柱しか残っていない。ときどき古里の夢を見る。夢の中で豊間の海辺を歩いている。
(続く)