商売と一口に言ってもきわめて多種多様。ジャンマダン(市場)で物を売る女性たち、そこに卸売りする者、運搬する者、闇の外貨両替商、不動産の仲 介、長距離バス運行、軍や党、政府機関傘下の貿易会社の社員......、挙げていったらきりがないのだが、携帯電話が商売にどれだけ便利なのかは、日本 に住んでいるわれわれには十二分に理解できる。また商売は競争である。情報の正確性と速さが重要なのは北朝鮮も同じはずだ。携帯電話の急速な普及こそが、 北朝鮮で市場経済の増殖・拡大が急ピッチで進んでいることの証だといえる。
自らも商売に携帯電話を利用しているというキム・ドンチョル記者は、周辺の商売人の反応をこう伝える。
「あちこちの商品の相場や需要を調べたり、取引の約束をするのにずいぶん便利になったという声はたくさん聞く。『今や携帯電話のない生活なんて考えられない』『携帯のない時代はどうしていたっけ?』と言う人もいるくらいだ」。
携帯電話の急速な普及は、新たな商売を生み出している。述べてきたように、購入代行手続きや名義貸しのサービス業、また市場では、ストラップやケー スなど様々な関連グッズが売られるようになった。高価な電話機を傷つけないために、「全面塗布」と呼ばれるビニールコーティングサービスをする業者も現れ た。これは三ドルぐらいだそうだ。
さて、これからも北朝鮮の携帯電話需要は伸び続けるだろうか。筆者は加入者数の増加は早晩頭打ちになると予測している。北朝鮮住民の大半は低所得で あり、携帯電話という通信の道具を必要としない零細商売をしているに過ぎないからだ。経済の低迷から抜け出すための構造改革が行われない限り、加入者数が 人口の一〇%=約二〇〇万を超えるのは困難であり、一二年の下半期には加入者の増加率は低迷するものと見ている。付言すると、一般固定電話は二〇〇〇年ご ろから光ケーブルの敷設が急ピッチで進み、二〇〇ドル程で誰でも引けるようになっている。
検閲そして盗聴
携帯電話が急速に普及するに及び、北朝鮮当局は、この未知の通信手段の広がりに対し警戒を怠っていない。取締りの様子についてク・グァンホ記者に語ってもらった。
「保安員(警察官)や『一〇九糾察隊(注1)』が、街頭で携帯電話を使っている人を呼び止めて電話機を見せろと迫ることがある。着信メロディーに中 国や韓国の歌を設定していないか、外国の歌を保存していないか、政治的なものはもちろん、街中を勝手に撮った写真や動画が保存されていないかなどをチェッ クするのだ。検挙されると、携帯電話は没収。さらに労働鍛錬隊(短期の強制労働キャンプ)に送られることもあるが、程度が『悪質』と見なされた場合は教化 所(刑務所)行きになる」。
せっかく携帯電話にカメラ機能が付いているのに、屋外で気兼ねなく撮影できるのは、せいぜい観光名所や、家族知人同士の記念撮影程度だそうだ。
携帯電話の盗聴の心配はどうなのだろうか? キム・ドンチョル記者の見解。
「当局に盗聴された内容が原因で逮捕されたという話は、まだ耳にしたことがない。でもおそらく、携帯電話を使う全ての人が盗聴されていることを前提に使っているはずだ。朝鮮という国で生きてきたこれまでの経験からすれば警戒するのは当然だ」。
とはいえ、ざっと一〇〇万人の通話とメッセージを全て盗聴・チェックすることなど可能だろうか? 多くの人員と莫大な費用が必要なはずだが、そのよ うな作業を続ける余力が今の北朝鮮政権にあるとは考えにくい。携帯電話の盗聴の主たる対象は幹部や公安機関員、高級軍人、要監視人物などで、一般庶民に対 しては無作為抽出でごくたまに会話を記録する程度ではないだろうか。また文字メッセージを単語で検索してチェックするぐらいのことはしている可能性がある だろう。
(この項終わり)
注1 一〇九糾察隊:一〇九常務と呼ばれる風紀取締り組織と 保衛部(情報機関)、保安部、検察などが合同で組織した検閲部隊で、外 国ドラマや映画の入ったCDをはじめ「非社会主義」行為全般を取り締まる。設立年度については二〇〇六年や二〇〇九年など諸説ある。名前は金総書記が《方 針》を出した一〇月九日に由来すると思われる。