また、二〇〇六年夏には、本誌の石丸次郎が「オルム」のために、国境地帯に住む北朝鮮人のパートナーとの別れを経験している。

「北朝鮮国内で連絡係をしていたチョリという名前の若い男が、ある時見違えるほど痩せこけて中国にやってきた。目つきも虚ろだったためピンときて、 『君、オルムをやっているんじゃないだろうな』と言うと、『ちょっとだけね。でもオルムは中毒性が無いから大丈夫なんです。疲れもよく取れるし』と言う。 覚醒剤がどれほど体に悪く、中毒性が強いのかを説明してもへらへらしている。中国の公安(警察)は麻薬には容赦ないから止めろというと『分かった』と答え たが、朝中国境で覚醒剤取引に関わっていると公安にあらぬ誤解を持たれたら、メンバー全員が危険にさらされてしまう。残念だったがその日限りでチョリとは 縁を切ることにした」
と石丸は振り返った。

覚醒剤の蔓延は国境地帯だけにとどまらない。平壌市で取材を続けるク・グァンホ記者は、二〇一一年秋、平壌での流行について次のように述べた。

「オルムは確かに広まっています。特に二〇〇九年頃から、これまで隠れて吸っていた人が堂々とやるようになりましたね。私の実感ですが、平壌では一 割くらいの人にオルムの使用経験があるのではないでしょうか。やっているのはお金のある商売人や、地位の高い幹部たち。最近は、家に親しいお客さんがくる と、お酒と一緒にオルムを出すこともあります。もてなしのひとつだと考える人がいるわけです」。

ク・グァンホ記者は、実際に、覚醒剤の吸引を薦められたことがあるという。
「知り合いの家を訪ねて行ったところ、オルムを持ち出してきて、『疲れが取れるから吸ってみろ』と言うんです。断ると知人は一人で吸い始めました」。

覚醒剤は、なぜ、そしてどうやって、北朝鮮でこれほどまでに広まってしまったのだろうか? それを知るためには、前史とも言える「アヘン」の生産と密輸について知る必要がある。
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