5月の大型連休明けの7日、被災地の一つ、福島県いわき市の沿岸部を再訪した。震災直後に小名浜地区へ入り、その2カ月後には北上して津波で壊滅的な被害を受けた久之浜地区や薄磯・豊間地区などを歩いた。あれから1年、海とともに生きてきた沿岸地域の住民たちは原発事故の影響で再生への一歩を踏み出せずにいた。(矢野宏/新聞うずみ火)
◆忘れられた被災地
いわき市の最北端に位置する久之浜地区。風光明媚な海岸線と天然の入り江を利用した漁港を持つ集落だったが、津波とその直後に発生した大火で壊滅的な被害を受けた。特にJR常磐線と海岸線の間の家屋は軒並み潰れ、犠牲者も40人を超えた。地区の一部が原発30㌔圏内に入っていたことで、救済の手もなかなか差し伸べられず、まさに「忘れられた被災地」の一つだった。
1年前に訪ねたとき、焼け焦げた臭いとヘドロ臭が鼻をつき、焼け焦げたビルの残骸が無残な姿をさらしていたが、今回訪ねると、街を埋め尽くしていたがれきはすでに撤去されていた。更地に残されたコンクリートの基礎部分がここに家があったことを示している。道を歩いていると、潮の香りが漂ってきた。誘われるように海岸線に出ると、少し荒れた波が打ち寄せていた。
海岸線にたたずみ、海を眺めていた初老の男性に声をかけた。地元で生まれ育った間宮恭明さん(70)。自宅はJR常磐線よりも西側だったので助かったという。
「かけがえのない故郷が地震、津波、それに火事にやられた。しかも原発の放射能で漁もできねえ。街はまさに『四重苦』だあ」
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