◆ 基地の原点は沖縄戦
沖縄戦は決して過去のことではない。
6月22日付の『琉球新報』に不発弾処理に関する記事が掲載されていた。県内には2100㌧の不発弾が地中に眠っており、年平均30㌧処理できたとして70年もかかるという。
「皆さんが来られる4日前にも那覇市内の敷地造成工事現場で不発弾が発見され、モノレールが1時間近く全面運休して1500人に影響が出たそうです」と稲福さんは説明したあと、こう言い添えた。
「それが今の沖縄の姿なのです。戦後すら迎えていないのです」
現在、嘉数高台は公園として整備されている。頂上にある地球儀をイメージした展望台に上ると、人口9万3000人の宜野湾市が一望できる。
市中央部の台地を米軍普天間飛行場が占めていた。482ヘクタールで、市の面積の4分の1にあたる。本土攻撃のため、住民たちの土地を強制接収し飛行場を建設して以来、70年近くも米軍施設として使用されている。
基地を取り囲むように住宅が建ち並んでいる。「世界で最も危険な基地」と言われる所以である。2004年8月には米軍の大型輸送ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落する事故が起きている。
米軍基地の原点は沖縄戦である。米軍は征服者の権利として銃剣とブルドーザーで必要と思う土地を強奪していった。稲福さんが言う。「憲法が安保(条約)に負けている。沖縄の人たちは戦のために土地を提供したくないのに......」。
基地に隣接する市立普天間第二小学校。一行が訪ねたときは低学年の下校時で、「バイバイ」と屈託ない笑顔を浮かべて児童たちが校門を後にしていた。
突然、爆音が轟いた。「ヘリコプターのホバリング訓練です」と稲福さんが説明するが、その大きな声も聞き取れないほどの爆音だ。児童たちを見送っていた教師の一人が騒音被害の現状を語ってくれた。
「何度も授業が中断されます。運動場での体育は教師がいつも空を見上げながらの授業です。輸送機や戦闘機が離発着するときの爆音はすさまじくて、まったく授業にはなりません」
この小学校では飛行機墜落を想定して避難訓練まで行っているというのに、日本政府は、より大型で危険性の高い米軍機オスプレイの配備を容認している。
普天間飛行場の大山ゲート前。「静かな日々を返せ」「オスプレイ配備を断じて許さない」と書かれた横断幕を掲げた「普天間爆音訴訟団」の30人ほどが抗議の座り込みしていた。
訴訟団団長の島田善次さん(71)が「米軍は生活の場を奪ってきただけでなく、オスプレイを配備しようとしている。それは沖縄の人たちの命を奪うことにつながりかねない。それを認めた日本政府に腹の底から怒りを感じている」と訴えたあと、私たちに向けてこう話した。
「ヤマトの人たちの無関心が沖縄を苦しめている。皆さんはヤマトに帰ったあと、目にした沖縄差別の実態を一人でも多くの方に伝えてほしい」
一行を乗せたバスはさらに北上し、嘉手納基地を目指す。嘉手納町、沖縄市、北谷町にまたがる極東最大の米空軍基地である。総面積は2000ヘクタールで、関西国際空港の4倍もある。3700㍍の滑走路2本を有し、200機もの軍用機が常駐している。
基地と隣接し、長年、米軍機の爆音に苦しめられている北谷町砂辺区で、区長の松田正二さんらが出迎えてくれた。ここ数年、地域から出て行く区民が後を絶たず、逆に移り住んでくる米軍兵士と家族が急増、今では区民よりも多くなったという。
街を歩くと、モダンな外国人住宅が建ち並んでいる。米兵たちが車で走り回るため、標識も英語で記されている。
松田さんらは米兵による事件を少しでも減らしたいと、基地の周りに1万本のハイビスカスを植える運動を始めた。
「あと2年もすれば砂辺という集落がなくなるかもしれない。米兵が基地の外に出てきたことで事件・事故が多発しています。私自身も外に出ている子どもたちに戻って来いとは言えないのがつらい」
(続く)