大阪市が「市政改革プラン」で市内10カ所にある市民交流センターを全廃する方針を打ち出したことで、利用者の間に不安が広がっている。センターの識字・日本語教室で読み書きを学んでいる人たちにとっては死活問題。「私らの学び舎を奪わんといて」という叫びは橋下市長の心に届くのだろうか。(矢野宏、栗原佳子/新聞うずみ火)
土曜日の昼下がり、大阪市住吉区にある「市民交流センターすみよし北」の識字教室を訪ねた。8畳ほどの部屋に「コ」の字型に長机が配置され、女性6人がプリントに向かっている。ボランティアの「先生」が4人。笑い声が絶えず、和気あいあいとした雰囲気だ。
この日の教材は小学4年生の国語ドリル。「雄大な◆◆」などの空欄に単語を入れていく。「風と『景色』の『景』や。『風景』というのは風の景色と書くんや。きれいやなあ」。先生役の西岡豊さん(69)が里山悦子さん(69)に笑顔で話しかける。ゆっくり鉛筆で文字を書き入れていく里山さん。脳性マヒの里山さんは、電動車いすで毎週通ってくる。50歳を超えてこの教室の門を叩き、一つひとつ文字を覚えてきた。
◆文字は生きる武器
識字教室は、貧困や差別などで読み書きを学ぶ機会を失った人たちの「学び舎」。このセンターでは土曜クラスのほかに、水曜、木曜日にもクラスがあり、その一つは外国人に特化した「日本語教室」だ。20代から85歳まで。どこも女性が多いのが特徴である。
センターの廃止に伴って識字・日本語教室も打ち切られることを知った里山さんは、ここで習得したワープロで思いを打ち込んだ。
『やっと自分の思いを文字で伝えることができるようになりました。勉強だけでなく講師の先生に色々教えてもらえ、週1回の識字を楽しみにしています。私の生きがいです。学びの場所を残してほしい』
里山さんの切実な訴えは、7月12日に中之島中央公会堂で開かれた「なくさないで!市民交流センター市民集会」で披露された。1000人近い参加者を前に里山さんも壇上へ上がった。
代読した木本久枝さん(77)は教室で机を並べるクラスメイト。戦争のため文字を学ぶ機会を奪われ、47歳で識字教室に入った。文字を一つひとつ取り返し、「文字とは生きる武器」だと実感している。
「覚えた文字は自分のもんや。誰にも取られへん。ここに来てみんなの顔見て、1つでも字を覚えたらうれしいやん。年寄りにとってここは生きがい。お喋りしているだけでも勉強になる。もしここがなくなったらどこに行けばいい? 遠い別の場所になったら行かれへんよ」
左から里山さん、西岡さん、木本さん。識字教室は生活の一部だ
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◆せめて名前や住所を
東淀川区の「市民交流センターひがしよどがわ」では木曜と土曜日の2回、よみかき教室が開かれている。「せめて名前や住所ぐらいは書けるようになりたい」という地元の人たちの切実な思いから1970年に誕生した。
中田豊子さん(77)も戦争で文字を学ぶ機会を奪われた。45年6月7日の大阪大空襲で母親と3歳の妹を亡くした。当時、中田さんは10歳。国民学校の4年生だった。以来、学校へは行っていない。
「一番辛かったのは子どもが学校から持って帰ってきたプリントが読めなかったことやなあ。『この書類を書いて』と言われても書けへん。子どもたちが書いとった」
懸命に読み書きを学ぶ中田さん(左)
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50代になってよみかき教室に通い始め、93年には自らの空襲体験を書いた「6月7日」が部落解放文学賞に入選した。「これまで忘れようとしていた辛い体験を初めて文字にしたことで、真っ白になっていた頭の半分がスカッと晴れたわ」。そんな中田さんだからこそ、センターの廃止については「ここは元気をもらえる場所。私らの気持ちになって考えてほしい」と訴える。
(続く)