北朝鮮に帰国した兄が奇跡的に日本にやってきた。兄滞在中のドラマを描いた映画「かぞくのくに」のヤン監督へのロングインタビュー第三弾。優遇されていたはずの兄は北朝鮮でどんな暮らしをしていたのか。 (聞き手 石丸次郎/アジアプレス)
◆兄のために総連に人生を捧げた両親
ヤン:長男を行かせたあと、オモニ(お母さん)があんまり家で泣いて呆然としているので、アボジ(お父さん)が、「もうこうなったら商売片付けてお前も総連に出ろ。考え方変えて、息子らのためと思ってお前も専任になって、二人でやっていこう」と。このままだとオモニが本当にノイローゼになると思ったんです。それから総連に全てを捧げる夫婦の人生が始まるわけです。息子たちを全部行かせたそんな家庭はないって、日本全国の総連の組織で言われてたらしいです。
石丸:お兄さんを守るために、家族が総連に忠誠尽くすことなったわけですね。
ヤン:私も、「あんたもアボジ、オモニみたいに生きなさい」って小学校からずっと言われ続けてました。日本に残った私があれくらいだったなら、北朝鮮に行ったオッパ(お兄さん)たちはどれだけ言われてたんでしょうね。
石丸:希望と不安を胸にお兄さんたちは北朝鮮に渡りました。手紙や人づてに何か異変の兆候みたいなものは伝わってきましたか?調子が悪いとか、日本に帰りたがっているとか。
ヤン:オッパたちからは、そんな、帰りたいとか、悲惨な手紙はあんまり来なかったんですよ。検閲もあるじゃないですか。あの時期、そんな本音の手紙書いたの見つかったら、どんな吊るし上げに遭うか分からないというのをオッパたちは察していたと思います。
下手なことしたら自分に跳ね返ってくる、ばれたらえらいことになるってね。だから、下のオッパ二人が伝えてきたのは、帰りたいとかお腹が空いてるとかじゃなくて、逆に、「僕たちは心配要りません。本当に主席様のおかげで頑張ってます」ということでした。
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