映画「かぞくのくに」のヤン監督との対談第五弾。いよいよ話は映画の舞台となった兄の訪日の核心へ。(聞き手 石丸次郎/アジアプレス)
◆病気治療で来日が実現
石丸:一番下のお兄さんが頭部に腫瘍ができて治療のために来日するという映画の設定についてですが、何年のことですか?
ヤン:これねえ、映画の設定は97年にしてありますが、実際に来たのは98年か99年。スケジュール帳全部ひっくり返したんですけど、確認できないんですよ。
石丸:そんな前のことですか...。
ヤン:2001年は、9.11でブッシュが北朝鮮を悪の枢軸とか言い始め、また2002年に拉致問題が明らかになった後は、帰国者の訪日はほとんどありえないはずですよね。病気治療とか、親が危篤状態で、死に目に会いに子供が日本に来るとか、そういう特殊な例で来ている場合は、親が総連のすごい上の人だったり、多額の寄付やカンパをしている場合です。まあ北朝鮮に渡った9万3000人のうち、何百人もいない、何十人程度だと思います。
石丸:お兄さんが日本に来たという話を聞いた時、僕もびっくりしました。そんなケース初めて聞いたから。
◆映画の設定
石丸:映画の中に、驚くようなシーンがいくつもありましたが、現実にあったんですか?例えばまず、来日を許されたお兄さんと他の数人が、総連本部らしき建物の中で、日本に来たことを報告する場面。
ヤン:成田に着いたら先に(総連本部に)挨拶行くというので、私たちは迎えに行かなかったんです。で、「こういうことちゃうかなあ」と私が作った場面です。肖像画をどこかで最初に出す必要があったということもあります。
石丸:お兄さん以外にも来日した人が登場しますね。それは、つまり集団で日本に来たということですか?
ヤン:映画では3人でしたが、実際には5、6人いました。顔にケロイドがある女の人がいたのが、強烈に印象に残っています。私が「あの人なんで...?」てオッパ(お兄ちゃん)に訊いたら、「かわいそうに、火事だったか爆発事故かで、すごくかわいい子やったのに大火傷を負って」と。親が北朝鮮訪問して娘を見てびっくりして、それからもう、とにかく自分が生きてる間に、整形手術を日本で受けさせたいと、ずっと組織に通って頼んでいたということでした。
石丸:映画の中では、北朝鮮から監視が付いて来た設定になっています。来日した人たちが互いに報告し合うというのはありえると思うのですが、実際に北朝鮮から監視が来てたんですか?
ヤン:一人来てました。監視っていうより、引率みたいな感じでした。でも、映画のようにあんなに毎日くっついてたわけではありません。日本の公安の方はずっと付いてましたけど(笑)。
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