病気治療のためになんとか訪日が許された兄。しかし、無情にも2週間で帰還命令が出され、治療もままならないまま兄は日本を離れることになった。映画「かぞくのくに」のヤン監督との対談第6弾。 (聞き手 石丸次郎/アジアプレス)
◆ 「しゃあないやん」
石丸:結局、治療も中途半端になったのは映画の通りですか?
ヤン:映画では、頭の腫瘍が悪性でそんなに長くもたないので、最後は(北朝鮮に)死にに帰るとしていますが、実際は、腫瘍は頭じゃなくて頬の奥にあって、まだ悪性にはなってないけど、悪性になる可能性が大きいという状況だったんです。すでに痛みはありましたが。
石丸:日本に治療のために戻って来たのに、それが二週間で帰国しろということになった時に、家族や親戚の中で、何があっても日本に残させるとか、亡命させるという話は出ませんでしたか?
ヤン:ああ、それはないですね。大阪で昔の同級生たちと会った時に、「もう帰らんとき!」、「もうええやん、おったら」ってお酒飲みながら冗談が出て、オッパ(お兄ちゃん)は笑ってるみたいなことはありましたけど。さすがに家族の中ではないですね。とにかく帰すときには、病気ちゃんと治して帰さなあかん、いろいろ持たせて帰さなあかんという感じでした。
石丸:突然2週間で戻れっていうのは理不尽じゃないですか。でもやっぱり、ご両親はそれでも組織が言うたんやったら仕方がないと。
ヤン:(帰国しろという)電話が来た時、オモニ(お母さん)は「ええ?なんでやのん!本部に電話して確かめてみる」と。アボジ(お父さん)なんか「何を言うてんねん。俺が掛け合ってみる」と言ってましたが、もう「無条件だ。あさって帰って来い」みたいに言われたんでしょうね、多分。もう何言うてもあかんって感じでした。ところがオッパ本人は、なんか鼻で笑う感じで「帰らなあかんわ」と。そんなびっくりしてたというのではなかったですね。シラケたような、淡々としてました。
石丸:悔しがらなかったんですか?
ヤン:オモニは腹を立ててましたけど、(帰れと連絡があって)2、3時間後ぐらいかな、「もうしゃあないやん、帰らなあかんねんやったら、しゃあないやん」と。この、うちのオモニの「しゃあないやん」は、ほんとすごいんです。一番上のオッパの躁鬱病が分かって夫婦で泣いていたる時の「しゃあないやん」にバシッと重なったんですよ、私の中で。
石丸:それは、どうにもならない状況の中でも最善尽くそうという「しゃあないやん」ということ?
ヤン:そうです。もう、しゃあないから出来る限りのことをするしかない。それです、ほんとに、ほんとに。この状況の中で出来る限りのことをしないわけにはいかないという。
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