◆残った者たちにも苦労はある
ヤン:末のオッパがイライラしてることが平壌であったんですよ。北朝鮮を訪問してくる在日の商工人や昔の友達の中に、「金無いんやろ、ホテル来いや、何でも食わしたるぞ」みたいに偉そうにするのがいるんです。カチンと来て、オモニからもらったお金でオッパ自分から払ったそうです(笑)。「お前らかわいそうやなあ、北朝鮮行って苦労して」って、そう露骨に言わなくても、ニュアンスって伝わるじゃないですか。そういう時、「アイツほんまむかついたわ」みたいなことを言ってた。一方私には「ヨンちゃんはええ女やなあ。偉そうにせえへんもん。ここの人間のことをバカにせえへんやろ。そういうとこ俺らめっちゃ好きやで」って言ってくれたんです。
石丸:それはカチンと来たでしょうね。
ヤン:日本にいる在日が皆、いい生活しているわけではなく、朝まで働いたり、節約に節約重ねてるわけです。私がニューヨークで暮らしていたことも、すごいなって思うかもしれないけれど、夜中、明け方までバーテンダーの仕事をしてましたし。北朝鮮にないものがそこにはたくさんあるけども、毎日毎日が必死。「家賃一回払われへんかったら、追い出されるんやで。オッパらそういうことないやろ」って言ったこともあります(笑)。そしたらオッパ、「俺らも大変やけど、お前も大変やなあ。アボジ(お父さん)、オモニ(お母さん)はしょうがないけど、お前は自分の人生大事にしてくれればいいから、俺らにお金送らなあかんとか考えんでええよ」って言ってくれるんですね。「3人もこんな兄貴がおったら、結婚もでけへんのんちゃうか?」みたいにね(笑)。
石丸:帰国者の大部分が、日本からの仕送りで暮らしをなんとか維持してきました。その仕送りがなくなったら途端に転落するケースが多い。帰国者は生活力が現地の人より弱いし。
ヤン:そうです。詐欺にもあうしね。
石丸:縁故者も地元の人に比べると少ないし。北朝鮮に家族がいる在日から最近来た手紙を見せてもらうと、「今回が最後のお願いです。どうかお金を送ってください」ということを切々と書いてきてるものがとても多い。
ヤン:そうですそうです。うちの親戚もそうです。
石丸:北朝鮮に渡った人も大変な苦労をしたけれど、日本に残って支援続けてきた在日家族も、大変な負担と苦労がありました。北朝鮮から来る手紙の大半はお金の無心です。「つらくて、気が重たくなるので開封もしない。もう、手紙が来るとノイローゼになりかねない」という話をたくさん聞いています。
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※8/4から封切りされたヤン・ヨンヒ監督作品「かぞくのくに」の上映情報です。
http://kazokunokuni.com/theaters/index.php
「北朝鮮と私、私の家族」 ヤン・ヨンヒ監督インタビュー 一覧
※在日朝鮮人の北朝鮮帰国事業
1959年から1984年までに9万3000人あまりの在日朝鮮人と日本人家族が、日朝赤十字社間で結ばれた帰還協定に基づいて北朝鮮に永住帰国した。その数は当時の在日朝鮮人の7.5人に1人に及んだ。背景には、日本社会の厳しい朝鮮人差別と貧困があったこと、南北朝鮮の対立下、社会主義の優越性を誇示・宣伝するために、北朝鮮政府と在日朝鮮総連が、北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝して、積極的に在日の帰国を組織したことがある。朝鮮人を祖国に帰すのは人道的措置だとして、自民党から共産党までのほぼすべての政党、地方自治体、労組、知識人、マスメディアも積極的にこれを支援した。
ヤン・ヨンヒ(梁英姫)映画監督。64年11月11日大阪市生まれ。在日コリアン2世。済州島出身の父は大阪の朝鮮総連幹部を務めた。朝鮮大学校を卒業後、大阪朝鮮高校の教師、劇団女優を経てラジオパーソナリティーに。95年から映像作家として「What Is ちまちょごり?」「揺れる心」「キャメラを持ったコモ」などを制作、NHKなどに発表。97年から渡米、6年間NYで過ごす。ニュースクール大学大学院メディア学科にて修士号取得。日本に住む両親と北朝鮮に渡った兄の家族を追ったドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」(05年)、「愛しのソナ」(09年)を監督。著書に『ディア・ピョンヤン―家族は離れたらアカンのや』(アートン新社・06年)、『北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ』(聴き手 佐高信・七つ森書館・09年)、『兄―かぞくのくに』(小学館・2012年)。
「ディア・ピョンヤン」で、山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波部門特別賞、ベルリン国際映画祭フォーラム部門最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)、サンダンス映画祭審査員特別賞、第8回スペイン・バルセロナ アジア映画祭最優秀デジタル映画賞(D-CINEMAAWARD)を受賞。
「かぞくのくに」で、ベルリン国際映画祭アートシアター連盟賞、パリ映画祭人気ブロガー推薦作品賞を受賞、他現在も各国の映画祭から招待が続いている。