二〇一一年春、延辺朝鮮族自治州のとある小さな街で、親戚訪問で中国を訪れていたカン(姜)と名乗る七〇代の北朝鮮男性に話を聞く機会があった。平壌 (ピョンヤン)出身のカンさんは半生を科学者として過ごした、北朝鮮科学史の生き字引のような人で、今は一線を退いているものの、その知識と経験談は、相 当なインテリであることをうかがわせるに十分だった。だが、現在の暮らし振りを訊くと、カンさんの口調は途端に険しいものになった。北朝鮮の社会建設に貢 献してきた老人がどれだけ薄情な扱いを受けているのか、実際に体験したことを、カンさんは喋り始めたのである。
記者(パク・ヨンミン):朝鮮のお年寄りの暮らしは、やっぱり厳しいのでしょうね。
カン:......今も昔もたくさんの老人が、家族や国に見捨てられて死にましたよ。私が所属している人民班でも今年(一一年)になって、男の年寄りが五人、栄養失調が原因で死んでしまいました。
記者:カンさんは、中国へ来る前に、どの程度「年老保障」をもらっていましたか?
カン:食糧は月に五日分、三キロだけ。二割がコメで、残りはトウモロコシ。それと毎月一五〇〇ウォンの現金。これが全部です。
記者:その程度の配給では満足に食べていけないでしょう?
カン:一五〇〇ウォンではコメ一キロも買えないので、食べられるものは何でも食べていましたよ。ヨモギなんかはイヤと言うほど食べたな。
北朝鮮で老人を対象とする社会保障制度は一般的に、「年老保障」と呼ばれる。男性は六〇歳、女性は五五歳になると定年退職するが、一定の食糧と現金 が毎月支給されることになっている。その内容はいくつかの等級に分かれていて、例えば、勤務していた企業所で優秀な成績を収めたとして勲章を受けたり、功 労者と認めらたりすれば、一般の人よりも「年老保障」は優遇される。
だが、軍需工場や鉱山などの重要な企業所を除いて、現役労働者への食糧配給すら途絶してしまった昨今、「年老保障」に食糧配給が含まれることは稀で、支給される現金も月七〇〇ウォンほどに過ぎないというのが、内部から伝わってくる実情だ。
カンさんが、わずかながら食糧配給を受け取っているのは、国家に貢献した科学者だったからなのだろう。普通の年寄りたちは老いた体に鞭打って商売に励むことで自分の食い扶持を稼いでいる。それができない場合は息子や娘にすがって生きていくしかない。
記者:それでもカンさんのような、国に貢献した人材には何らかの手厚い保障があってもよさそうなもんですが。
カン:国に人生を捧げた科学者だろうが関係ありませんよ。ビナロンを発明したリ・スンギ博士(注1)が設立した、あの「咸興(ハムン)科学院」でさ えも、「苦難の行軍」(多数の餓死者を出した九〇年代後半の社会混乱期)の時には七人も立派な科学者が餓死しているくらいだから。私も平壌から地方に移 り、大学で講義をしていましたが、定年になってからはさんざん苦労しましたよ。
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