ヤン:客観的にという点ではね、やっぱり、アボジは熱血活動家でもあったと思うんです。「北朝鮮はほんまはこうやで」という情報って、結局、今活動している自分たちが信じているものを否定する情報じゃないですか。それを両親はどこまで受け入れてたのかなって思います。親を責める訳じゃないですけれども、アボシ、晩年には現実をどんどん分かりつつも、「祖国やから信じんねん」みたいなところが強い親だったんでね。複雑だったとは思いますね。
石丸:当時を知らない日本人としての勝手な想像ですが、自分の息子にとって、進路として、日本に残ることと朝鮮に渡ることとでは、どっちがいいのかということは、当然お考えになったと思うんです。単に、食べ物すら不自由だという部分はなんとかなるだろうと。進路として考えられて、迷って迷って選択されたのではないかなと、ちょっと想像ですけれども。
ヤン:一人でぽつんと行くのではなくて、兄弟一緒に行ってなんかあったら助け合えるだろうという考えもあったでしょう。それに、当時はね、うちの母の妹も弟も帰国してるし、母のアボジもオモニも行っているんですよ。皆、済州島の人なんですけど。うちのアボジの兄弟の子供たちもみんな行っているし、結構帰国した親戚が多かったんです。
石丸:まあ未知の世界ではないなっていう安心感はあったんでしょうね。
ヤン:そうですね。まあ言わば一人じゃないから、助け合って、そこで自分たちの道を見つけるだろうっていう期待というか望みがあったのかもしれないですね。もっと言うと、両親は、子供たちだけじゃなく自分の兄弟とかそういう近い親戚がいっぱい行ってるから、そこを信じるしかないっていうところで、行かせた後も頑張ったんだろうなと思うんです。
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