イラン中部のセムナーン州の町シャフミールザードで、イスラム聖職者が、服装を注意した二人の少女から暴行を受けるという事件が発生した。イランの準国営メフル通信が17日、この事件について報じると、多くのペルシャ語ニュースサイトが記事を転載した。
同通信社によれば、同市のモスクで道徳指導(※)を行うイスラム聖職者アリー・ベへシュティーさんは、説教を行うため市内のモスクに向かっていたところ、ヘジャーブ(スカーフ)を浅く被った少女2人を目にし、「身を覆いなさい」と注意した。
ところが、少女たちから「あんたが目を閉じればいい」と言い返された上、押し倒されて殴る蹴るの暴行を受けたという。腰を強打したべへシュティーさんは、痛みをこらえながらその日の説教壇に立ったが、説教を終えた後、気を失い病院に搬送され、4週間が過ぎた今も生活に支障があるという。
目撃者によって、すでに2人の少女は特定され、警察の取調べを受けている。べへシュティーさんは「神への義務を果たす困難に比べたら、このような痛みの苦悩は取るに足りないもの」と言い、2人を訴えるつもりはないという。その一方で、「検察が公共の側面から、聖職に対する冒涜に断固対処するというのなら、口を挟むつもりはない」としている。
このニュースを転載した保守中道派のニュースサイト・ターブナークへは、読者から多くのコメントが寄せられた。「こういう子たちに目をつぶらなければならない社会になったとは! 殉教者たちと神になんと詫びればいいのか」、「ヘジャーブの問題は危機的状況にあり、街頭では嘆かわしいものを目にする。
それらは海外の衛星放送のせいだが、政府は何の手も打たない」といったものから、「長い時間をかけて様々な要素が積み重なって、ヘジャーブを尊重しなくなった女性に対し、街頭で一言注意することにどれほど意味があるのか? 」といったものまで様々だ。
イランでは、聖職者への冒涜は、イスラムへの、ひいてはイスラム共和制をとる体制への冒涜と見なされ、処罰の対象となる。2002年にはイランの歴史学者ハーシェム・アガジャリ教授が大学の講演会で学生らに、「イスラム教徒は高位聖職者の教えに訳も分からず従う猿ではない」と述べて死刑判決を受けたが、その後、内外からの強い抗議を受け、判決は取り消された。
イランでは、道徳指導を行った人が暴力を振るわれるという事件が近年、立て続けに起こっている。
(※)ペルシャ語を直訳すると、「徳を勧め合い、悪徳を禁じ合うこと」という。イスラム教の原則の一つとしてムスリム同士に推奨されているものだが、イランでは風紀委員会のような位置づけにあり、体制側の一方的な押し付けとして反発を感じる国民も多い。
【大村一朗】