フセイン政権時代に毒ガス攻撃を受けたクルド住民が、使用された化学兵器の製造に関与した外国企業を訴える準備をすすめている。
事件が起きたのはイラク・イラン戦争末期の1988年。イラク北東部のハラブジャで、当時のイラク軍が住民に対しサリンなどからなる化学爆弾を投下し、5000人が犠牲となった。
アルビルで、米国司法人権団体支部の代表を務めるサミ・ジャラルさんは、ハラブジャ化学兵器被害者協会のメンバーとともに、ハラブジャ事件での化学兵器製造に関与したと思われる企業の調査をすすめている。フセイン政権は、これら企業についての文書は91年に廃棄したとしてきたが、ジャラルさんは国際的な調査機関に依頼するなどして情報を収集。サミさんがまとめたリストでは、兵器や化学物質の原材料の納入や技術提供に関係した企業、機関はこれまでに500を超え、日本企業も10社ほど含まれているとしている。
フセイン政権が自国民に対して化学兵器を使用したのは、クルド人の反政府意識が強かったことも背景にある。当時、イラン・イスラム革命の影響を懸念した西欧諸国は、イラク政府による民間人への化学兵器使用を厳しく問うことなく、詳細な調査も行われなかった。住民は、いまも神経障害や呼吸器疾患などの後遺症に苦しんでいるが、長いあいだ国際的な医療支援は立ち遅れてきた。
サミさんは訴訟を通じて、民間人虐殺という人道への罪を問うことに加え、被害者救済のための補償などを求めていくとしている。
ハラブジャ虐殺事件の調査については、ナチスドイツのユダヤ人虐殺の責任を追及するユダヤ系団体がクルディスタン地域政府に協力を表明しており、今後の進展次第では、人道に対する犯罪として大規模な国際訴訟となる可能性もある。
企業は化学兵器の製造に使われることを知りながら原料を販売したのかが裁判の焦点となると予想されるが、「殺虫剤などの原料として発注を受けながら、極端に量が多いにもかかわらず何のリサーチもせずに売った事実なども判明している」とサミさんは説明する。
彼自身クルド人だが、決して報復が目的ではないと強調した。
「サダム・フセインや国防大臣が政権崩壊後、死刑となり、事件の解明がうやむやになってしまった。当時のフセイン政権に協力した企業に責任はないのか。この虐殺は世界が関係していることを知ってほしいし、2度と起きてはならない」と彼は話した。
【玉本英子】