日本軍の「慰安婦」にされた少女の半生を描いた『花に水をやってくれないかい?日本軍「慰安婦」にされたファン・クムジュの物語』が梨の木舎から出版された。
韓国の作家、イ・ギュヒさんの作品を元高校教諭の保田千世さん(66)=多摩市=が翻訳した。日韓関係が緊張するなかでの出版。「政治問題ではなく、一人の人間の悲しみとして知ってほしい」と保田さんは話している。(栗原佳子/うずみ火新聞)
『花に水をやってくれないかい?』=写真=は小学校5年生の女の子、ウンビを主人公にした小説だ。ソウルのアパートに引っ越してきたウンビは、隣に一人暮らすハルモニ(おばあさん)にベランダの花の水やりを頼まれたことをきっかけに交流をはじめる。それがファン・クムジュさんだ。
物語の途中、ウンビは性暴力にあい、苦悩する。そして日本軍「慰安婦」問題と出会う中でファンさんらの怒りと深い心の傷を思い知り、自らと重ねあわせていく。「慰安婦」問題が、いまに続く性暴力の問題でもあることを少女の目から問いかけている。
ちょっとややこしいが、ファンさんのモデルは実在の女性、黄錦周(ファン・クムジュ)さん(90)だ。18歳のとき、騙され中国の吉林に連行され、日本軍慰安所で筆舌に尽くしがたい日々を強いられた。翻訳者の保田さんは元都立高校の教師で、黄さんと20年あまり個人的な交流を続けてきた。
◆長い沈黙を破って
黄さんと保田さんの交流を振り返る前に、「慰安婦」問題について、簡略に記したい。
かつて、旧日本軍は性病の蔓延防止などの目的で、占領地や戦地に「慰安所」を設置した。そしてアジア各地から女性たちを連行して軍「慰安婦」にし、軍の厳しい監視の下、兵士の性の相手を強いた。
日本軍「慰安婦」にさせられたのは、当時日本の植民地だった朝鮮や台湾をはじめ、中国、フィリピン、インドネシア、オランダなどの女性。敗戦時には日本が証拠隠滅のため資料を焼却したので正確にはわからないが、その数は8万から20万人といわれる。ほとんどが10代だった。
「慰安婦」の存在がクローズアップされたのは戦後半世紀近く過ぎた1991年、韓国の金学順(キム・ハクスン)さんが初めて実名で名乗り出たことが契機だった。
現地に置き去りにされた女性たちは少なくなかった。生きて国にたどりついても、貞操観念が強い儒教社会では、生まれ故郷に帰ることもできなかった。そんな彼女たちに対し、日本政府は「民間業者がやったこと」とシラを切った。それを知り金学順さんは「私が生き証人だ」と長い沈黙を破ったのだ。
同じ境遇の女性が生存し、告発したことに黄さんは衝撃を受けた。すぐに家を訪ね「私もそうだった」と明かす。2人目が黄さん。さらに次々と被害女性たちがその勇気に続いた。韓国だけに留まらない。アジア各地の被害女性たちの証言と資料により、ついに93年、日本政府は河野官房長官談話で日本軍の関与と「強制性」を認めた。
しかし正式な謝罪や補償はないまま。その後、国連や各国から、日本政府に対して謝罪と補償を行うよう勧告が何度もでたが、日本政府は日韓条約で解決済みという立場だ。95年に発足した「平和のためのアジア女性基金」は国民の募金によって「償い金」を被害者に渡すというものだったが、黄さんら多くの被害女性は、受け取りを拒否した。
(続く)