太平洋戦争末期、米軍による大阪大空襲の被害者や遺族が国に謝罪と損害賠償を求めた大阪空襲訴訟の控訴審が9月24日、大阪高裁で結審した。
国は、旧軍人・軍属とその遺族には年間1兆円もの恩給や年金を支給しているが、民間の空襲被害者は何の補償もしていない。「戦争という国家の非常事態のもとでは国民は等しく耐えねばならない」という「戦争損害受忍論」を主張しているからだ。
「戦争損害受忍論を空襲被害者だけに押しつけるのは、法の下の平等をうたった憲法14条に違反している」などとして、2008年12月、空襲被害者23人が提訴した。
昨年12月7日の一審判決では「補償を受けた者と原告との差異は不合理とは言えない」として請求を棄却。これを不服として原告側は控訴していた。
この日、原告(控訴人)側があらためて証人尋問を求めたが、坂本倫城裁判長は「(提出されている)記録を検討するので採用しない」と退けた。
弁論終結を前に、5人が最後の意見陳述を行った。
1945年7月10日の第6次大阪大空襲(堺大空襲)で母と姉2人を亡くし、自身も大ケガを負った堺市堺区の奴井利一郎さん(70)が「旧軍人・軍属には補償があるのに空襲被害者はゼロ。情けない国です。原告は身体に傷を負っている。それが自分の親やったらどうですか」と裁判長に怒りをぶつけると、傍聴席からは拍手がわき起こった。
続いて、爆弾の破片で左足に大ケガをした兵庫県西宮市の森岡惇さん(79)が「戦後67年という長きに渡り、人権蹂躙されてきました。あまりにも悲惨です。一縷の望みを司法に託しましたが、人の痛みをわが身に置き換えて考えてはくれませんでした。国民でありながら国家から救済されないなんていいのでしょうか。悲しいです。残念です。空襲犠牲者の人権を尊重した判決をください」と訴えた。
最後に意見陳述を行った大阪市住吉区の田中正枝さん(72)は「私たちはこれまで国から援助も一切なく、放置されてきました。特別な扱いをしてくれと言っているのではないのです。(補償を受けている)他の戦争被害者である旧軍人や引揚者らと同等に扱ってほしいだけです」と訴えた。
わずか2回で弁論は打ち切られ、判決は来年1月16日に言い渡される。
【栗原佳子/新聞うずみ火】