2008年に国連機関が北朝鮮当局と合同で行った全国人口調査(編注:人口が1割以上「水増し」されている疑問が多く提起されている)によると、穀倉地帯の黄海南道の農村地域には約150万人が住むとされている。

そこで仮に死亡率が1%だとしても、1万人以上がこの世を去ったことになる。黄海北道の農民や、都市部で底辺生活を送る人々までを含めると、その数倍が命を落とした可能性がある。

軽々しく死亡者数に言及するのは慎みたいが、我々は、今年に入って黄海道で少なくとも、万単位の人が亡くなったのではないかと推測している。

本連載を最後までお読みいただければ、我々の推測が決して根拠のないものではないことを理解していただけるだろう。これはもはや「食糧難」ではなく「飢饉」である。

さて、前述したとおり、黄海道で多くの人が飢えて死んでいたまさにその時に、平壌では金正恩氏を体制の世襲後継者として披露する大イベントが行われていた。

いったい、金正恩氏の登場と飢饉はどのような連関があったのだろうか?なぜ穀倉地帯で多くの人が飢えるという現象が発生したのだろうか?

次回は「2012黄海道飢饉」発生の原因について述べたいと思う。(続く)

(参考写真)収穫作業に動員された女性。農民の疲弊と生産意欲の低下で、都市住民のの労力が当てにされている。黄海南道海州(ヘジュ)市ソエ洞にて 2008年10月 シム・ウィチョン撮影
(参考写真)収穫作業に動員された女性。農民の疲弊と生産意欲の低下で、都市住民のの労力が当てにされている。黄海南道海州(ヘジュ)市ソエ洞にて 2008年10月 シム・ウィチョン撮影

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