格差・貧困がもたらす政治への過大な要求
石丸:なぜ「制裁選挙」が繰り返されるのでしょうか?選挙制度の問題もありますか?
湯浅:制度の問題はあると思います。小選挙区制の問題は考える必要があると思います。ただ、私の観点からは格差・貧困問題が大きいと思っています。格差・貧困社会というものをどうイメージするかなんですけど、私は、格差・貧困拡大型社会というものを、隣に人がいなくなることだとイメージします。
例えば、学校では自分より勉強が出来るやつか出来ないやつ。職場では自分より成績がいいやつか悪いやつ。そんなふうに人々が全部縦に並んでいく。要するに自分の隣に人がいないのです。
常に感じるのは、自分より出来ると思う人から、お前なんかまだまだだっていうメッセージを受け続け、自分より出来ない人に対して、お前なんかまだまだだってメッセージを自分が出し続けていること。
これは相互にネガティブな関係なので、一人一人のパワーは落ちてくる。しかも横に人がいないというのは、無力感に結びつきやすい。自分が何かやったって、どうせ世の中誰も受け止めてはくれない、世の中そんなことではびくともしない、というふうな無力感に陥ってしまう。
すると、自分が何かをやるよりは、その無力感を誰かに何とかしてほしいと願うようになる。自分の生活上の課題など、自分でどうにか出来るとは思えないから、誰かに何かやってほしいと思う。だけど、その通りにやってくれる人なんて現実にはいないわけです。その結果、「やっぱりこいつじゃだめだ」ということになる。また次を選ぶのだけれど、その人だって出来るわけないから、また「だめだ」となる。「制裁選挙」が繰り返されるのは、格差・貧困問題がもたらすこうした個人の無力感が原因でもあると思っています。
そのことに気づき始めた人たちは、もうちょっと熟慮型で、自分たちも参加する参画型で、互いに知恵を出し合おうと一生懸命動き出しています。とはいえまだまだ少数派なので、残念ながらどうも今回も制裁型で物事が動きそうです。
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