◆「大きな存在」実感
神戸高速鉄道「高速長田駅」の階段を上がり、大きな朱色の鳥居をくぐって左手すぐのところに岡田さんのコンビニがある。訪ねたときが昼過ぎだったこともあり、近くの高校生たちがパンやおにぎり、カップ麺を持ってレジの前で列を作っていた。
コンビニの仕事は24時間休みなしでしょう。仕事が追いかけてくる感じで休まる時がないのよ。あまりの忙しさに2人で逃げ出したいくらい。店は息子が中心でやってきたから、いなくなって初めて存在の大きさがわかるわ」
そう語る育代さんの横で、征一さんも頷きながらこう言い添えた。
「音頭を取る船頭がいなくなったからね」
「でも、従業員たちが頑張ってくれているから助けられている。お客さんからも『頑張っているね』と声をかけてくれるし、人は宝やね」と、育代さんは努めて明るく振舞おうとしている。
店の奥の倉庫に入ってきた従業員の一人に店長の印象について尋ねると、「店長は仕事に対して厳しい人で、それでいて優しい人でした。よく鍛えられました」と振り返ってくれた。それを聞きながら、育代さんがつぶやいた。
「もう少し生きてくれていたらと、つい愚痴になるのよ」
突然の事故死ゆえ、実感がわかなかった。日が経つにつれて「ああ、いないんやなあ」と思うようになった。それでも、今でも息子がいないことに気づき、呆然とすることもあるという。
「店の裏にいつも止めていたバイクがない。どんどんどんと階段を下りてくる足音に、ふと息子が帰ってきたと思うこともあるのよ。心の温かい子でしたから......」
亡くなる1カ月前に、「二人で旅行でも行って来れば」とお小遣いをもらった。そのお金も葬儀代になったという。
「お母さん、『さか』には三つあるんやで。上り坂、下り坂、そして『まさか』」と笑っていた日出雄さん。そのまさかが起きるとは......。
日出雄さんの妻は事故前から膠原病を患っており、日出雄さんも案じていたという。育代さんが「孫に店を託したい」と手紙に書いていた中学3年の長男は事故前に父親と旅行へ行く約束をしていた。父親の突然の死を受け入れられないのか、不登校になっているという。
震災で店が全壊し、仮設店舗で頑張ってきた時のことに話を向けると、育代さんは「これも与えられた試練だと思い、気持ちを立て直してきた。けれど、こんなに大きな仕事が残っていたとは......」と言って涙ぐんだ。(つづく)
【矢野 宏/新聞うずみ火】
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