◆景山佳代子のフォトコラム
同じ宿になった初老のドイツ人夫婦と朝食をとっていたとき、世界各地で仕事をしていたという夫のほうが、いたずらっ子のような笑みを浮かべながらこう言った。
「僕たち観光客はね、金のウンコをするロバなんだよ」
キューバに限らず、物価水準が先進国と大きく異なる地域を旅すれば、少なくとも一度や二度はお金のことで煩わされる。なにかとチップをせびられた、「法外な」値段をふっかけられた、なんていうのはよくある話。勝手にガイドを申し出て、半ば強引について回ってきた挙句、食事をおごらされたり、洋服を買わされそうになったなんて話も聞く。
「親切な人だなぁ」と思って仲良くしていて、「はい1ドル」と言われれば、それは勉強代だと思ったほうがいい。
私の場合、キューバでは、そこまで露骨にお金を請求されたことはないが、それでもさきのドイツ人男性は、キューバ国内の有数の観光地で、ただ通りを歩いているだけでお金を要求され辟易したそうだ。そんなことを話したあとに、「でもね......」と彼は言葉を続けた。
「この朝食。パンと果物とコーヒー。これだけで3ドルもするはずがないだろう。それにここの部屋だって、20ドルなんて高すぎる。でもね、それはいいんだよ。そうやって僕たち観光客がお金を落としていく。彼らはレストランで食べ物を出したり、タクシーに乗せたり、いろんな"エサ"を僕たちに食べさせる。そうして僕たちがそのエサを食べて、金のウンコをいっぱい落としていく。先進国から来ている観光客というのは、金のウンコをするドンキー(=マヌケなロバ)でいいんだよ」
茶目っ気たっぷりな彼の「演説」で、いつもより長めになった朝食を終え、私たちは「ではまたあとで。よい一日を」と挨拶をして、それぞれハバナの街へと出かけていった。
(金のウンコをするドンキー......)
街を歩きながら彼の言葉が頭の中をぐるぐる巡った。そしてその言葉のおかげで、なんだか気持ちが楽になっている自分がいた。
チップを払いすぎていないか。先進国から来た人間はお金を見せびらかしていると思われるんじゃないか。
自分のお金の使い方が彼らの金銭感覚と違いすぎているんじゃないか。
くだらないかもしれないけれど、こんな心配がいつもついて回っていた。でもそんなことはもう気にしなくていいのだ。だって私は金のウンコをするロバなんだから。タクシーの運転手さん、レストランのボーイさん、観光地のガイドさん。気持ちよく過ごさせてもらったならチップを渡せばいいのだ。それが観光客である自分の役回りでもあるのだ。
すでに見知った街となってきたハバナの通りを歩く私には、「金のウンコをするロバ」という言葉は、それまでの重荷を解放してくれる魔法の呪文のように思えた。
でも、そうではなかった。
それはハバナを脱出し、外国人御用達の観光リゾート地バラデロへ足を運んだ時に思い知らされる。
(続く)