◆慰安婦問題は「沈黙・回避」の対象
慰安婦問題を巡る"事件"は、2001年のNHK「ETV特集」番組改変問題がその典型だが、マスメディアの中でこのテーマが絡むと右派団体による抗議活動にさらされるか、匿名での脅迫や嫌がらせが起きているという印象を私は抱いていた。
特に、ETV番組改変問題では、NHK側の対応や説明の不可解さも加わって、当時のNHK担当プロデューサーやデスク、番組を企画した制作プロダクション、そして、この問題を報じた朝日新聞記者らまでもが、人事異動や辞職という道に追い込まれた。そして、慰安婦問題はテレビ界では触れることができないような「沈黙」「回避」の対象となってしまった感がある。
この問題に関わった人たちは、多かれ少なかれ"向こう傷"を負ってきていることも、「面倒な問題」というイメージを増幅させ、拒否反応を生み出している一因でもある。
「新宿ニコンサロン中止問題」が写真界に本当に影響を及ぼすのは、これからだろう。ニコン側が裁判所に提出した陳述書によると、選考委員による選考にはニコンサロン事務局は関与せず、選考の判断結果を同事務局が覆すことは過去ほとんどなかったという。
しかし今後はもう一度"審査"、いや"検閲"が、選考委員会とは別のところで、ニコン内部で行われるだろう。それこそが「政治的に」。
この写真の政治性はないか?
撮影者の政治性はないか?
抗議や批判が来る恐れは?
そして、こんな会話が聞こえてくるのかもしれない。
「これはちょっとやめときましょうか?」
「またあのときのような面倒なことになりそうですからね」
これがニコン本社のある場所で、いや他の写真機器メーカーの写真展審査会場でも聞こえてくるかもしれない。写真に限ったことではなく、映画や企画をめぐって、何かを上映・展示する場所や主催者たちの間かもしれない。
だが、それが声で聞こえてくるのであれば、まだましだ。恐らく声にも出さなくなり、みんな沈黙するのだろう。そして、いずれ自らの身体の中でも「自粛・委縮・回避」を自ら選択するようになる。こうして、タブーやアンタッチャブルなテーマがつくられていく。