◆シーア派最大の祭祀アーシュラーに度肝を抜かれる(上)
3月1日、イスラム教シーア派の最大の祭祀であるアーシュラーを明日にひかえ、テヘラン市街は騒然とした空気に包まれていた。アーシュラーとは、イスラムの預言者ムハンマドの孫で、シーア派3代目イマーム、ホサインの殉教を悼む、国を挙げての追悼儀式だ。
私は、イラン到着当初お世話になったイラン人のJさんの車で、彼の実家がある市街東部のピールーズィーという下町を目指していた。市街のいたるところで、50人、100人、あるいはそれ以上からなる大小様々な集団に行く手を阻まれ、何度も車を迂回させなければならなかった。
彼らは「ダステ」と呼ばれる地区単位の集まりで、ここ1週間ほど夜毎集まっては、鎖の束で自分の身体を鞭打ちながら街路を練り歩いていた。明日がホサインの殉教日、つまりアーシュラー本番とあって、昼間から道路を占領して気勢を上げている。
ダステは、ホサインの剣をかたどった馬印のようなものを先頭に、まずは子供たち、そして威勢の良い若者たちと、黒づくめの男たちが続き、なかほどにはスピーカーと音響機器を乗せた台車、そして哀歌を滔々と歌い上げる、マイクを握った青年、さらにドラムやシンバルの楽隊で構成されている。
街中には、天幕の張られた芝居小屋のようなものがあちこちに建っている。これはヘイヤトと呼ばれ、アーシュラーの時期にだけ建つ、各ダステの本部のようなものだ。ダステは毎夜近隣を練り歩いたのち、自分たちのヘイヤトへ戻り、ふるまい飯をもらって解散するのである。
ようやく目指すピールーズィーにたどり着くと、Jさんはとある民家の前で車を停めた。路上は真っ赤な鮮血で染まり、首のない羊が5頭横たわっているのを見て、私は一瞬たじろいだ。
Jさんは、まだ生きている別の羊に馬乗りになると、その首筋にナイフを当てた。「グゲエッ」という断末魔の叫びとともに、また一頭が絶命した。ヘイヤトとは別に、この日は近所や親類などの仲間内でも、羊を殺して食事をつくるのである。
民家の中庭でチャイを飲んでいると、さっきの羊たちがおおまかに解体された肉塊となって、巨大な桶に盛られて運ばれてきた。「手伝うかい?」と手斧とナイフを渡された私は、巨大な骨付き肉をこぶし大ほどの大きさにさばいていく。近所の男たちとともに肉塊と格闘すること1時間余。やれやれ終わったと思ったら、それはまだ序の口にすぎなかった。
庭には直径1メートル20センチはある大鍋が5つ用意されていた。これらの肉をすべて使って、今からスープを煮るのだ。
ガスバーナーが点火されると、船のオールのような巨大なひしゃくで鍋をかき回す。水をなみなみと張った大鍋には、それぞれ羊1頭分の骨付き肉と数種類の豆が入っている。鍋底が焦げ付かないよう、絶えずかき回さなくてはならない。
汗びっしょりになりながらひしゃくを漕いでいると、裏方の女性が何度もチャイやジュース、茶菓子を運んできてくれる。そのうち客人が訪れては、15分、30分と鍋をかき回して帰ってゆく。
女性も、1分、5分と短いが、少し鍋をかき回しては、新たに訪ねてくる客にひしゃくをバトンタッチする。この鍋かき回しリレーは途切れることなく続いたが、なにぶん鍋は5つもあるため、元の面子が鍋から解放される時間はほとんどない。暑いうえに、時折、煮えたぎったスープの飛沫がひしゃくを持つ手にはねて、腕には何箇所も軽いやけどの痕ができていた。
この苦行は一体いつまで続くのだろうと思っていた矢先、目の前で鍋をかき回しているおばさんが私に言った。
「かき回しながら、イマーム・ホサインに願い事をするのよ。仕事のことでも家族の健康のことでも何でもいいから。もし願い事がかなったら、来年また来てちょうだいね」
客人がやって来ては鍋をかき回して帰っていく理由がようやくわかった。
聞けば、ここで父親の健康を祈って帰宅したら、病床の父親が嘘のように元気になっていたなどという逸話もあるという。
昔、初めてこの庭でスープを煮たとき、少し大きめの鍋が1つだけだったという。ここで鍋をかき回してホサインに願い事をし、願いがかなったら翌年、お礼の気持ちを込めてわずかなお金や食べ物を持ってくる。そうして今、これら巨大な鍋が5つ、ここにあるというわけだ。
イマーム・ホサインは人々の願い事を神様に仲介してくれるという。人々は願い事をする中で、それが叶ったときにどんなお礼をするのかも約束する。お礼は大抵、路上で飲み物やお菓子を通行人に振舞うなど、寄付や施しという形で行われる。こうした習慣をイランでは「ナズリー」と呼ぶそうだ。
午後の2時から煮込み始めて、夜11時には肉塊も脂肪も骨も8割方溶けてしまった。ちょうどその頃、この地区のダステが近くのヘイヤトで今日の行進のクライマックスを迎えようとしていた。
(続く)