2005年5月に起きた自爆爆事件の現場。地面は真っ赤に染まり、生臭い血の匂いが漂っていた。警察官採用面接に集まった47人が死亡、100人以上が負傷した。(撮影:玉本英子・2005年5月4日・イラク北部アルビル)

 

◆イラク戦争10年 癒されぬ深い傷
イラク北部クルディスタン地域のシャクラワに暮らす女性ナヒダ・ハリル・ホシッドさん(54歳)は、2005年5月、アルビルで起きた自爆攻撃で夫のケリム・アハメッドさん(当時60歳)と息子のディルダルさん(当時23歳)を失った。

警察官採用予備面接に集まった若者を狙ったイスラム武装勢力による自爆だった。死者47人、負傷者100人以上。犠牲者のほとんどが貧しい家庭の若者だった。家族を養うため、給料が安定した警察官になりたいと希望し、面接を受けに来たのだった。

事件があった日、私は直後の現場で取材をした。地面は真っ赤に染まり、生臭い血の匂いが漂っていた。黒く焦げた壁、吹き飛んだ窓ガラス。混沌とした現場では、人びとが泣き叫んでいた。
地元でおこなわれた葬儀の日、ひとり崩れ落ちながら、ずっと夫と息子の名を叫んでいたのがナヒダさんだった。彼女は震えながら、私の手を握り、亡くなった二人の写真を見せてくれた。

事件があった日、遺体を引き取りに行った親戚のひとりは「夫ケリムさんの体はバラバラで足もなかった。わずかに残った顔の一部でようやく夫だと分かったナヒダさんは、その場に倒れてしまった」と話した。

あれから8年。記憶をたよりにナヒダさんの家を探した。近所の人たちは事件のことをあまり覚えていなかった。ようやく家を見つけると、ナヒダさんは私をやさしく出迎えてくれた。

あの日以来、家の外に出ることはほとんどなくなったという。近所の人たちが「夫がいない独り身の女が自由に暮らしている」と噂をたてるのだという。ナヒダさんは11歳で親が決めた相手と結婚、12人の子どもを育てた。小さな町で、人のつながりも強い。それでもこの地区では、夫を亡くすと、人として認められない風潮があるという。

「サダム(フセイン元大統領)は私たちクルド人を殺してきました。アメリカがサダムを追い出したとき、みんなで喜びました。でもそれから状況はひどくなった。アメリカの偉い人が誰で、何を考えているのか私は知りません。でもいったいこの国をどうしたかったのでしょうか...」と、ナヒダさんは言う。

2005年に起きた自爆攻撃で夫と息子を失ったナヒダさん(54)。精神的な苦痛に加え、働き手を失い生活苦にも陥った。イラク戦争から10年が経ち、治安状況はようやく改善しつつあるが、人びとが負った心の傷は根深い。(撮影:玉本英子・2013年3月18日・イラク北部シャクラワ)

 

今は娘と長男家族の6人で暮らす。国からの遺族支援金、月30万ディナール(日本円約2万5000円)と、ナヒダさんがヨーグルトをつくり、息子が市場で売ることでなんとか生計を立てている。冷蔵庫の中は売り物のヨーグルトが並べられ、野菜や肉など何も入っていなかった。

「夫も息子もいない。怒りを向けようにも、犯人は自爆で死んだ。私には何の希望も願いもありません」
彼女は、こぼれる涙をおさえながら、力なく話した。
イラク戦争から10年。各地の治安状況は改善されつつある。だが、戦争でもたらされた混乱によって引き裂かれた人びとの心には、いまも深い傷が残っている。
【イラク北部シャクラワ 玉本英子】

第2回 >>>

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