清野トクさん。仮置き場は目と鼻の先だ
清野トクさん。仮置き場は目と鼻の先だ

 

◆野菜自慢ユースホステルの嘆き
小国地区に定員15人の小さな宿を守り続けて40年になるユースホステルがある。野菜農家の清野(せいの)秀明さん(63)と母のトクさん(86)が経営する「みさとユースホステル」=下小国=。秀明さんが広島県上下町(現・府中市)のMG(モダンガイド)ユースホステルを訪ね、ペアレントの森岡まさ子さんとの出会いがきっかけで、1973年、都会の若者に田舎暮らしの素晴らしさを味わわせたいとユースホステルを開業した。

もともと農家で、米や野菜を作っていた。農作業を体験できるユースホステルとしても注目されたことがある。最盛期には年間2000人もの客が来たという。ここ数年、ユースホステル自体の客離れが加速、年々利用客が減ってきたところに原発事故が拍車をかけた。「なかなか胸を張って来てくださいとは言えない」と、秀明さんは本音を漏らす。

震災前、宿泊客に出す料理には自分たちの作った野菜を使ってきたが、今ではビニールハウスで作っている春菊などに限られる。農作物の生産も思うようにできないばかりか、自分たちが日常食べるものを含めてすべて地区の測定機で計っているという。ホステラーから「おかあちゃん」と慕われるトクさんは「今までは自信を持って食べてもらっていたのに検査して食べさせるんだよ。張り合いがなくなったよ」と寂しそう。伊達市は干し柿の「あんぽ柿」で有名で、ユースでも干し柿を作り客に出していたが、それもできなくなった。

北海道に住む曾孫は2歳になったが、トクさんはまだ一度も対面を果たせずにいる。
「辛いよね。こっちに来いとは言えないから」
すぐ横を流れる川の向こう岸には汚染土の仮置き場が広がる。このユースも、避難勧奨地点の指定対象にならなかった。

◆同情から一転
一方、指定を受けた側の傷も深い。
佐藤好孝さん(75)は下小国地区の行政区を束ねる区民会の会長。事前の計測で、玄関先が毎時1.80マイクロシーベルト、庭先が毎時2.00マイクロシーベルトと、いずれも高い数値を記録した。

指定された直後は「線量が高くて大変ですね」と同情的に見られていたが、2カ月あまりして賠償金の話が広がると、嫌がらせの電話も受けた。
「区民会長という立場を利用して指定されたのではないかとか、テレビに出演したことについて出演料をいくらもらったのかとまで聞かれました」
それでも佐藤さんは、地域の人同士仲良くしたいと、区民会として研修旅行を計画した。道中は何事もなく和気あいあいの雰囲気だったが、夜の宴席でお酒が入ると決まって本音が出たという。

だからこそ、集団申し立ての動きを歓迎している。「どんな結論がでるかはわかりませんが、やるべきだと思います。この指定のやり方では不満がでるのは当然です。地区全体で賠償金をもらうことで、仲間同士の気持ちももとに戻ってほしい」

指定解除から2ヵ月経つが、室内でもガイガーカウンターのアラームは鳴りっぱなしだった。地区内にはいまも生活圏のあちこちに線量の高い地点が残り、山林なども全く除染は入っていない。佐藤さんは「解除ありき。これで問題が解決するとでも思っているのでしょうか」と怒り心頭だ。
佐藤さんたちが国や市にいくら要求しても住民説明会すら一度も開かれず、何ら返答もないまま届いたのは、解除を告げる文書だった。妻と娘、小学1年の孫娘の3人は10キロ離れた伊達市梁川町へ避難している。佐藤さんは区民会長という責任もあり、ここを離れるわけにはいかないという。一家の「二重生活」は今後も続くことになる。

「これは外(県外)で作っているものです。いっぱい食べてくなんしょ」
お昼時。避難先から一時的に戻っていた妻のナオ子さん(73)が、お手製のおにぎりと白菜の漬物を出してくれた。
佐藤さん宅も農家。これまで米や野菜は自分たちで作ってきたのに、他の産地の物を買わねばならない。「いちいち説明して食べてもらわなければいけないのです」。佐藤さんもそう寂しそうに言い添えた。
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